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クラブの活動報告 青少年交換
青少年交換
 青少年交換は、在学中の高校生を他のロータリー地区へ派遣し、また他の地区からの高校生をホームステイで受け入れ、感受性の豊かな時期に異国での学校生活を体験させるプログラムです。
 交換の相手先は国際ロータリー及び当第2660地区の青少年交換委員会で決定され、スポンサーとなるロータリークラブは、カウンセラーを用意してお世話にあたります。当クラブは設立まもないころより、このプログラムに積極的に参加しています。
長期青少年交換留学生(受入れ)  (送り出し)  短期青少年交換プログラム 
長期青少年交換留学生(受入れ)








1989-1990 Tara Lee McCalan (タラ・マッカラン) Canada

Thomas Thompson
    (トマ・トンプソン)


 1986.3.17生
 出身 フランス グランコート

 期間 2002.8-2003.7

 在学高校 大阪市立扇町高等学校
 カウンセラー 佐藤会員


Olivier Demeulemeester
    (オリビエ・デムレムスタル)


 1983.4.21生
 出身 ベルギー ハッシオ

 期間 2001.8-2002.7

 在学高校 大阪市立扇町高等学校

 カウンセラー 佐藤会員


Yves Denis (イブ・ドニ)

 1982.7.23 生
 Cornwall Ontario Canada

 2000

 在学高校 大阪市立扇町高校

 ホストファミリー 織田治久、菊井康夫、武市智寿
 カウンセラー 佐藤 俊一


Joe Daniel (ジョー・ダニエル)

 1983.11.25.生
 Naples Florida, U.S.A.

 1999.8-2000.7

 在学高校 大阪市立扇町高校
 ホストファミリー 武市智寿、菊井康夫 
           織田治久
 カウンセラー  矢尾和彦

 ジョーと日本側青少年交換留学生 (後列左から、織田、菊井、武市の諸君)


日本を再訪したジェフとその両親
Jeffrey Magliola
   (ジェフリー・マグリオラ)


 1978.10,18.生
 Columbia, Missouri,U.S.A.

 1997.8-1998.8

 在学高校 大阪市立扇町高校
 ホストファミリー 佐藤 俊一、阿部成之助、
           須田潤市朗
 カウンセラー 田中信明
ジェフ・マグリオラ君トラブル記(田中信明、カウンセラー)

トラブル1 1997年8月19日午前3時、真夜中の関空ロビーに私と佐藤真理子さんはジェフを迎えるため待っていた。タイ航空775便の到着をインフォメーションで知って待つこと1時間、ジェフはまだ現れない。出て来た人に聞くともう誰も残っていないと云う。何かあったのか心配で何度も係の人に聞いても誰も残っていないと云われて、あきらめて帰ろうとした時、1人の青年が出て来た。ジェフであった。理由を聞くと手荷物が届いていないと云う。間違って他の便に積まれたらしい。明るくなった空を見上げてとにかくホストファミリーの佐藤氏宅に向かった。手荷物は後日転送されてジェフの手元に届いた。

トラブル2 8月20日住民登録、21日日本語学校入学手続を済ませ、24日月華殿に於いてオリエンテーションが行われ、帰ろうとするとジェフがサイフがないと云いだした。佐藤氏もあわてて心当たりに電話をして探してもらったが見つからない。もう一度リュックサックをよく探させるとサイフが出てきた。本当に人さわがせな男である。

トラブル3 例会出席のためジェフを日本語学校まで迎えに行くことになっていた。フランスからの留学生ローリーを扇町でピックアップし、その後ジェフをピックアップする約束をして約1ヶ月が過ぎた例会日、その日はことのほか仕事が忙しく、その約束をすっかり忘れてしまって太閤園に行くと、ローリーがジェフは?と聞くのではっとして約束を思い出し、あわてて車で学校へ迎えに行って事務局の人にジェフの事を聞くと、しばらく待っていたがもう出かけたと云う。又例会場にひき返してみるとジェフが来ていたので安心だったが、本当に済まない事をしたと心より謝った。その後は1人で例会場に来てもらうことにした。

他に小さなトラブルを各ホストファミリーで起こしたに違いないと思うが、佐藤さん、阿部さん、須田さん本当にありがとうございました。しかし、いつもほがらかでなんとなくにくめない男だと思って1年間カウンセラーを努めさせて頂いた。帰国後こちらから写 真をたくさん送ったが、一報の便りもなかった事が残念でならない。

Angela Dawn Gollan
    (アンジェラ・ゴラン)


 1979.2.3生
 Wonder lake, Illinois, U.S.A

1996.8-1997.7

 在学高校 大阪市立扇町高校
 ホストファミリー 光山恵治、川 忠、武市智寿
 カウンセラー (岡豊)、須田潤市朗


Elise Marie Owen
    (エリス・オーエン)


 1978. 8. 5生  
 Vancouver, Washington U.S.A.

1994. 8.--1995. 7.  

 在学高校・大阪市立扇町高校  
 ホストファミリー  穐山司郎、 武市敏一
          、 音在秀信  
 カウンセラー 須田潤市朗
 サブカウンセラー 岡 豊

Elise Owenの思い出 (須田順市朗、カウンセラー)

エリスのカウンセラーになったのは国際奉仕委員長であったのと、前年度の委員長の浮舟さんの下で副委員長をやっており、その時受け入れ高校がなかなか見つからず二人で扇町高校に何度も足を運び、やっと許可を頂いたと思ったらぎりぎりになり来日学生が変わりエリスとなったり、又ホストファミリーの選考にも関わっていたので指名された様です。

直前の交換留学生であったジュリー・ジャスキルカが日本語を話そうとはせずに一般 の生徒と全然交わらず、学校を困らせお陰でその旭高校に受け入れを拒否された苦い 経験があったので、エリスには関西学友会日本語学校にお願いして本コースに入れてもらい12月までは日本語学校の授業を徹底させたため抜群に日本語が上達して、帰国する頃は完璧な日本語を話し、漢字もそこそこ書けるようになっていました。 

しかし扇町高校では中途半端な出席だったためと日本人特有のいじめにあい悩んで苦労していました。またもう退会されましたが最初のホストファミリーとうまく行かず、何度も相談を受けました。しかし彼女は4月からは変な色のついていない新入生のクラスに自分から入る決心をして新しい友達を作るのに努力をし、学校の行事にも積極的に参加し、日本の古い文化に興味を示し貪欲に勉強する姿勢には本当に頭が下がりました。 

アメリカに帰ってお金を貯め、必ず日本に戻って来ると言ってましたが夢かなわず、結婚したと言う電話があったのが3年ほど前のことです。


和服を着せてもらったジュリーと背少年交換関係者
Julie Ruth Jaskilka
     (ジュリー・ジャスキルカ)


1976. 5. 21 生  
Tigard, Oregon U.S.A.

1992. 8-1993. 7.  

 在学高校・大阪府立旭高校  
 ホストファミリー  佐藤俊一、 谷 紀明、 
            阿部成之助
 カウンセラー (早川四郎)
「異星人ジュリー」(第一ホストファミリー 佐藤俊一)

私の娘がアメリカ、オレゴン州ポートランドに留学した交換にジュリーという名の娘が我が家に最初のホームステイをした。彼女はフランクで感情豊かである一方、独善的で自己主張が強く、それが日本の管理的高校生活にうまく溶け込む事ができず、カウンセラーの早川さんや担当の先生は苦労された事と思う。

牧師の娘だけあって、日曜ごとの礼拝と聖書に忠実なのはいいのだが、進化論を信じず、お寺へは「悪魔の住むところ」といって決して入らない。一方、お正月に着物を着せた時は、喜んで神社に初詣に行くのはどういうことなのか?奈良へ連れていったら鹿を見て「おいしそう」とジョークをいうのは、彼女のお父さんがライフル持って狩りに行くからなのか? ボーイフレンドから手紙がくると大喜びし、お父さんがなにかのトラブルで教会を出なければならなくなった時は悲嘆にくれ、また、ビデオで「ベン ハー」をみながら興奮のあまり「キル!キル!」と口走ったり、気に入らない事があったら小生をたたいたり(勿論たたき返したが)、とにかく、文化の違う日本の生活と実家の問題とが重なり、17歳の乙女にとっては気持ちが揺れにゆれた日々であったろう。

その心のよりどころとして聖書に没頭していた事は分からないでもない。幸い彼女はルックスもよく、モラリストであったので皆から親切にされ、一年間の日本での異文化体験は本人にとっても意義深いものであったであろう。 最後には、空港での大勢の見送りの人たちと一人一人別れの抱擁をしながら泣く泣く名残を惜しみながら去っていった。その後、高校卒業時の写 真と優しい文面にあふれた手紙が送られてきた。それ以来、ジュリー一家の行方は彼女の親友ですら知らない。今思うと、まるで異星からきた娘だったような気がする。

Tara Lee McCalan
     (タラ・マッカラン)


1973. 8. 8生  
Horby, Ontario, Canada  

1989. 8 -1990. 7.

 在学高校・大阪府立清水谷高校  
 ホストファミリー 
     須田潤市朗、(斉藤純一)、音在秀信
 カウンセラー 佐藤俊一

タラ・マッカランの思い出 (須田順市朗、ホスト家庭)

タラは我がクラブにとっても我が家にとっても最初の交換留学生でした。来日前に送ってくれた写 真を片手に新大阪駅まで迎えに行ったのがつい最近 のように思われますが、あれから11年の年月が流れました。我が家には娘がおらず、 息子一人の家庭にとってどのように扱って良いか戸惑ったのが本当のところでした。 しかし案ずるより生むが易しと言う通り、同い年の息子とすぐ意気投合し(言葉はお互いわからぬ が)仲良しになってくれたのには安心しました。

清水谷高校に通うことになり英語担当の教頭先生が責任者となり面倒を見ていただくことになったのですが、カナダの高校とはかなり違い、制服を着るのは嫌だとか、どうしてイヤリングは駄 目なのかとか、なぜ化粧して駄目なのかとか言って困らせました。また体操服を着ての体操の授業は決して受けませんでした。しかし美人でグラマーな彼女はタラちゃんタラちゃんと呼ばれ人気者でした。来日当時は太っているのでダイエットしていましたが、日本食(特に焼き鳥、お好み焼き)と日本のケーキのおいしさに負け、帰る時はかなり太ってしまいました。

帰国してからは、いつ調べたのか私を含め家族全員の誕生日にカードを贈ってくれたのには感激しました。

帰国する時息子に抱きつき「コウシローが結婚するとき必ず招待してね」と泣きながらサヨナラを言ったのが忘れられない思い出です。 帰国後3年ほどしたある日突然友人を連れて我が家に現われたのにはびっくりさせられました。

タラ・マッカランとエリス・オーエンのホストをして(音在秀信)

タラは鶴見ロータリークラブに来た、最初の交換留学生である。 当時、ホームステイ家族への情報も少なく、不安な面 もあり、担当三家族が、緊密な 連携を取り合った事が思い出される。清水谷高校へ通 学したが、当初英語以外の授業は全く理解出来ず、悩んでいた。 幸い担任の英語の先生のご理解のお陰で、一年無事終わった様である。

娘二人が、同じ様な年齢であったせいか、直ぐに家族に溶け込み、あっという間に 過ぎた。(4月ー8月帰国迄)

若いけれども、世界の出来事にも目を向け、生活観もきっちりと身につけている事に 驚いた。 又度々招待されるロータリアンの酒席には、戸惑いを感じていた。この点は未成年である事を考慮し、今後反省されるべきである。家族とは、後にカナダ訪問時、 再会を果たしている。

数年後、急にエリス・オーエン(アメリカ)のホームステイを、引き受ける事になっ た。この時は高校も、扇町高校に変わっていた。持前の明るさと、積極的な行動は、タラと又違っていた。多くの級友の訪問を 受けた事も記憶に新しい。 両名のホームステイにより、国の違い、考え方の相違、又ロータリアンとしての責任、 奉仕の限度等いろいろ貴重な経験をした。何れにしてもある程度の個性が確立し、 国際感覚も身につけているのには、敬服にあたいする。 今日も続いている交換留学生の皆様が、将来日本と世界の国々との国際交流の 掛け橋となって頂ける事を望みたい。

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