大学を卒業した後、一般の人々と同じように私もある会社に就職しました。仕事には不満があったわけではなく、同僚ともうまくいっていたのですが、これといった目標もなく仕事上で意義も見いだせなくて、ほんとうにこれでいいのだろうかという疑問が常に私の前にありました。
そんなある日、外交官として日本勤務をしている兄から、日本に来て勉強しないかという誘いがありました。その話を聞いた時、私はびっくりすると共に未来が開けたように感じました。なぜならば、日本留学のことは大学時代からずっと私の希望でしたが、幾人かの親友と離れるのがつらく、また経済的にも不可能だったので、あきらめるしかありませんでした。けれども半年後、意外な兄の招待をうけた時、感謝と同時にたいへんとまどいました。私の日本留学の希望はすでに私のこころのおくにうずもれてしまっていたからです。しかし、兄からの招待と援助の言葉をいただきましたが、私はしんじられなかった。
そのようにして、日本留学が決まってから、台湾でのいそがしい毎日が始まりました。私はある日本語センターで日本語の基礎を学んだり、親戚と別れを惜しんだりしました。日が近づくにつれ、かれらと別れるのがますます辛く感じられ、日本留学の決心がゆらぎました。
そして出発の日、両親と親友となみだながらに別れを告げて、飛行機に乗りました。よく遊んだ淡水河や仲間といっしょによくのぼった観音山、特に四年間通った私の大学が外から見えた時、非常に感動しました。台湾を離れて外国へ行くのも飛行機にのるのもこれからが初めての経験で、台湾から日本までの二時間余り、いろんな思いがこころをかけめぐりました・・・。まどの外に、突然まちのあかりが見えた時、思わずとなりの人に、「ここは日本ですか。」と聞きました。「これが大阪湾です。」と言われ、とても感動して、しんじられないで、「日本へ来たのは夢のようです。」と言いました。
夢のように来た日本で、私の夢を実現するためにいっしょうけんめいがんばろうとおもっています。
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