私は半年前に日本に来ました。その間いろいろなことがありました。そのほとんどを忘れてしまいましたが真理さんのことだけはどうしても忘れられません。
ある日、姉のみまいに病院へ行きました。同じ部屋に一人のおばあちゃんが入院していました。姉の話ではおばあちゃんは入院したばかりで、ちょっと熱があり、おなかも痛いのですが、どんな病気かまだ分からないようでした。私が姉と話をしている途中でおばあちゃんの娘の真理さんがおばあちゃんのおみまいに来ました。真理さんと姉が簡単なあいさつをした後で、おばあちゃんの面倒を十五分ぐらい見て、持って来た花とくだものなどをおいていそいで帰りました。
私には真理さんはとても忙しいのだというのが最初の印象としてのこりました。
一週間後私はもう一度病院へ行きました。真理さんはもう病室にいておばあちゃんといろいろ話をしていました。今回おばあちゃんは前より体がもうちょっと弱くなったようでした。真理さんはおばあちゃんの細かい所にまで手厚くかんごしていました。誰にでも真 理さんはいい娘さんのように見えました。
このごろおばあちゃんがねている時真理さんと姉はいろいろ話をします。
真理さんは五年前に離婚して、むすこさん二人を連れておばあちゃんといっしょにくらしています。真理さんは自分で店を経営して、非常に忙しいので家事や子供の世話を全部おばあちゃんにしてもらっていました。一年ほど前からおばあちゃんが「時々おなかが痛くて疲れやすい。」と言っていたのに、真理さんは忙しかったのでぜんぜん気にかけていなかったそうです。一週間ほど前におばあちゃんが「もうやく一カ月熱がつづいている。」と言ったのであわてて病院に連れて来たそうです。 いになり、店や子供のことなどは全部忘れて毎日おばあちゃんにやさしくしてあげようと決心したそうです。おばあちゃんに分からないように、気がつかないように、まわりに誰もいない時しか泣けませんでした。
姉と真理さんのことを話しているうちにおばあちゃんがねてしまいました。それで真理さんも私達といっしょに話を始めました。
「日本では子供が大きくなったらだいたい親といっしょにくらしません。親は子供に対して愛をいくらでもあげるけれども大きくなった子供は何分の一も返せません。母がすぐいなくなる。この時までその意味がはっきり分かっていなかったのです。わかった時はもうどうしようもないんです・・。」真理さんは話しながら涙を雨のように流しました。
この後、おばあちゃんはほかの病室へ移されました。姉も退院したので、それからおばあちゃんかどうなったか分からないけれども真理さんの後悔していた顔が時々思い出されます。
中国と日本、政治的、経済的、いろいろな面でちがうところがいっぱいありますが、人間の感情は同じです。中国でも、日本でも赤ちゃんから育ててくれた私達の両親に対してできることはなんでしょう。
病気になった親のそばにいても真理さんみたいに後悔しないために忙しい生活の中でも時々両親のことを思い出してください。 |