26 May, 1998
1995年5月に日本を経って以来、初めての帰国となりました。この3年間、1991年より行っていた英国エセックス大学大学院での研究を中断し、国連日本政府代表部(外務省)の専門調査員としてNYに赴任し、この5月19日をもって一年間の任期延長を含む3年間の任務を終えました。
「国連」と言えば、一般に、自立した国際組織、または世界政府のようなイメージを与えがちですが、実は、加盟国186カ国からなる政府間組織であって、自立性は持ちません。国連の最高政策決定機関は、国連の全加盟国から構成される「総会」であり、国際社会の安全保障に関する問題に限っては、「安全保障理事会(安保理)」となります。私の担当する人権等社会分野は、さらに別
の主要機関である「経済理事会(経社理)」が重要な役割を果たします。各国代表部の任務は、こうした国連の各政策決定の場で、各問題毎に国連の政策を決定し、国連の事務局に対し、決議・決定を採択することにより、任務を要請することにあります。ですから、私たち代表部担当官の任務は、担当分野に関する国連の会議をフォローし、適宜代表部内、本省と連絡を取り合った上で、各委員会等のフォーラムにおいて政府の政策を提示し、これを国連の政策に反映させるべく他国の代表部員と交渉するとともに、国連での関連活動を本省にフィード・バックすることです。
私は、同代表部において社会部に属し、人道・人権問題担当専門調査員として、主として「女性(ジェンダー)」、「児童」、「社会開発(障害者、青年、高齢者等)」人権問題(各国の人権問題)」等を担当致して参りました。私の任務は、同担当分野における上記のような担当官の仕事を行うことですが、必要に応じ、専門領域の事項に関しては、他の代表部員に対し、必要な情報、アドヴァイス等の提供も致しました。また、この4月には、調査員の任務を補完するため、「国内人権委員会設置および強化」に関する調査を目的とし、ジュネーブ、インド、スリランカ視察を行いました。
外交には、いわゆる2国間の交渉を中心とする「バイ」の外交と、多国間交渉を中心とする「マルチ」の外交の2種類があり、私はこの後者にあたる「マルチ外交」を主要国際機関である国連において実践して参りました。日本の外交官は、日本人のもって生まれた気質から、「バイ」を好み、また、語学上の不利益から(国連公用語は、英語、仏語、西語、露語、アラビア語、中国語の6ケ国語)、日本は「マルチ外交」が下手であるというレッテルが貼られてきました。それでも、最近は「マルチ」においても日本の活躍が少しは見られるようになってきましたし、逆に、今やマルチにおいても、日本の積極的な参加なくして、国連が成り立ち得ないほどの地位
を獲得しつつあり、またそうあるべき時代に至っています。それは、特に、日本の国連分担率の増大、また、経済および政治問題ともに混迷が続くアジア諸国と西欧を中心とする西側諸国の地政学的に中間に位
置する日本の役割から明らかです
そういった意味で、これから日本がどのように国連に関与していくべきかの問題は、単に政府の問題ではなく、国民の問題として、一人一人が再考する必要があります。上記のように、国連の政府は、国連がつくるのではなく、加盟国である我々が作り上げていくものです。よって、日本人が特に多用しがちな「国連に対する日本の貢献」という表現は適当でなく、「国際社会の安全と平和のために国連をどう利用するか」「日本のアイデアをいかに反映させるか」といった発想の転換が求められています。国連では、西欧を中心とする先進国のみならず、一部開発途上国は、マルチ外交が得意で、国内外のイメージアップのために、リーダーシップ合戦を行っている事実を知っていただきたいと思います。私の3年間に及ぶ代表部勤務は、私にとってかけがえのないマルチ外交実践の場となりましたが、私の得たこの経験が少しでも皆様の国連に対する興味をそそり、理解を深める上でお役に立てば幸いです。
最後になりましたが、1990年以来9年間にわたる鶴見ロータリークラブの皆様の温かいご支援に感謝するとともに、皆様の熱い期待にこれからもお応えできるよう、今後一層努力して参る所存にございますので、よろしくご指導いただきますよお願い申し上げます。
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