大阪鶴見ロータリークラブ 国際ロータリー 第2660地区
講師  大竹 美喜(おおたけ よしき)氏
アメリカンファミリー生命保険会社在日代表・会長

 本日、国際ロータリー第2660地区第6組のインターシティ ミーティングにお招きいただき、大変光栄に存じているところでございます。このたびはロータリアンとして実行委員長であります阿部成之助様にお話を頂戴いたしまして、喜んでお伺いした次第でございます。
 今日は、ロータリアンの皆様の他に、普段私たちの活動に直接参加されたことのない一般 の方々もお集まりいただいております。こういう多勢の皆様の前で、私に与えられましたテーマ「愛と思いやりの心」について、1時間ほどお話をさせていただきたいと思います。
 風邪を引いておりますので、多少お聞き苦しい点があると思いますが、お詫び申し上げたいと思います。
目を閉じ 思い浮かべる顔
 まず、突然でございますが、初めに皆様にやっていただくことが一つございます。今から1分間目を閉じて、私と一緒に、生まれてからこれまでの皆様の人生を振り返っていただき、あなたのことを愛してくれた人、また、あなたが愛する人、愛した人たちの顔を思い浮かべてください。

 私は、決して難しいことを申し上げているわけではございません。ここでの「愛」とは、その人を大切に思う気持ち、その人のことを常に気に懸けていること、その人のために何か役立ちたい、何かしてあげたいと思う対象をお考えいただくことです。

 さあ、それでは今から1分間でございますが、私が「はい」と申し上げるまでは、目を閉じて、それぞれの人の顔を思い浮かべてください。

   ―沈黙:「愛する人」を思い浮かべる会場の聴衆―

 「はい」、有難うございました。ちょうど1分が経ちました。皆様、どんな人の顔を思い浮かべたでしょうか? また何人ぐらいの人を思い浮かべていらっしゃったでしょうか? 家族、友人、今一緒に暮らしていらっしゃる方を思い浮かべられたかもしれません。遠くに離れている方、あるいは既に亡くなってしまわれた方、ずっと昔に会わなくなってしまった人を思い出していらっしゃる方もあるかもしれません。また、ある人の顔を思い浮かべただけではなく、その人との様々なふれあいを思い出された方もあるかもしれません。皆様、その人たちの顔を思い浮かべた時、どんな気持ちを持たれたでしょうか。

日本に がん保険会社を設立
 私も1分間に多くのことを思い出しておりました。私は現在、アメリカンファミリーという米国の保険会社の会長という仕事をしております。テレビコマーシャル等で、当社のことをご存じの方もあると思いますが、今でこそ会社の名前を知っていただく保険会社に成長して、昨年日本で創業して25年目を迎えました。

 25年前に当社を設立した時は、誰も知らない小さな会社でした。「がん保険」で日本の皆様のお役に立ちたいという一心が、私をこの会社の設立という大きな挑戦に立ち向かわせたわけでございますが、もちろん、設立にあたっては、想像を超えるような様々な困難もございました。

私に勇気を与えたもの
 私がその困難を乗り越えることが出来たのは、私の志を理解して協力してくれる多くの人たちのお蔭によるものでございます。もっと遡って申し上げれば、私が困難に挑戦し、成し遂げる力を与えてくれたのは、やはり育ててくれた人、両親、祖父母のお蔭だと思っております。

 どんな時でも、愛する人を思い浮かべる時、これらの人々が私に示してくれた数々の心温まる思い出は、いつも私を勇気づけましたし、そしてまた優しい気持ちにもさせてくれるものであります。本日のテーマの「愛と思いやりの心」を大切に再認識させてくれたものです。

祖父の思い出
 既に亡くなっておりますけれども、祖父との思い出が私には一番強いわけです。私は広島県の県北で生まれまして、山間僻地の貧しい村でしたが、そこでの子供の頃の思い出をご紹介しますと、朝5時過ぎの夜明け前、いつも祖父が私を連れまして、往復1時間の処にある氏神様にお参り致しました。それは私が18歳、高校を出るまでずっと習慣となって、朝晩お参りしたわけですけども、その道中にいろいろなことを教えてくれたものが、私の人生にとっての何よりの「宝物」となっております。祖父から学んだことが一番大きいと思います。

父の口癖
 皆様もいろいろなことを思い出していらっしゃったと思いますが、私は一昨年亡くなった父を思い出しておりました。非常に厳しい父親でございました。スパルタ教育で私は躾られましたけれども、どんなに厳しくても、やはり父の存在は有難いものでした。今とは時代も全く違って、私の育った頃というのは―我々と同じ年齢の方も多いので、お分かりかと思いますが―幸いにも両親は「勉強をしろ」とか、「良い学校に行け」とか一言も言いませんでした。これは私にとって大変な救いだったし、好き勝手にさせてくれて、有難く思っております。

 しかし、一つだけ父親が口癖のように言っていたことは、「人生経験大学の優等生になれ」でした。ですから、この会社を始めるまでに、様々な寄り道、困難も経験致しまして、私は自分で自分を「はみ出し者」と紹介して歩いておるわけですが、はみ出し者であったからこそ、自分の信念を信じて、ここまでやってこれたんじゃないかな、私は自分をそのように思っているわけであります。

日本の将来と青少年
 今回の講演については、阿部さんからお手紙を頂戴致しまして、阿部さんはロータリアンとして、最近の日本の世情、人の心の荒廃、社会や学校そして家庭といった、私たちとその子供たちを取り巻く環境で、今起こっている様々な問題に大変心を痛めておられるようでした。

 しかし、同時に多くの若い人たちとの交流の中で、日本の前途は決して悲観的、絶望的ではない、ともおっしゃっておられました。さっき浮舟副委員長ともお話させていただきましたが、副委員長も全く同感だとおっしゃっておられます。私も、この会社をつくって25年間、日本の若者は非常にしっかりしている、と信じておるわけです。

青少年犯罪と人を思いやる心
 先ほど冒頭に皆様に、自分が大切と思う方々の顔を思い浮かべていただきたい、と申しましたが、それぞれ忙しく、余裕のない毎日に追われ、仕事や学校で腹立たしい出来事が幾つもあり、自分に自信が持てなくなった時でも、愛する人、その人のことを思いやる時、皆様は素直な心になれたのではないでしょうか。

 「愛と思いやりの心」は、そういう気持ちと繋がっていると私は思うんですね。ですから、誰もが「愛と思いやりの心」を持っていることが、お分かりいただけたんじゃないでしょうか。

 では、何故今、かつて考えられなかったような事件が青少年によって惹き起こされているのか。また我々大人の社会においても、他人を思いやる心を忘れかけているのかということですね。何故こうなったのかを、きょうは皆様とご一緒に考えてみたいと思うわけであります。

 本来誰もが持っているはずの「愛と思いやりの心」が失われてしまった。取り戻すことは、不可能なんだろうか。そんなはずはないんですね。取り戻すことは、出来ます。

「蘇る少年たち」は訴える
 そこで、一つのエピソードをご紹介したいと思います。私の会社に定年まで働いていた方が、退職したあと、お父様がつくっておられた教育新聞の社長に就任しました。その方が1冊の本を私に紹介してくれたものですから、ここに持って参りました。

 「蘇る少年たち」という画集です。NHKから出版された本です。国連NGOアジア刑政財団という犯罪防止と犯罪者の処遇に関する活動を行なっている団体で纏めたものです。

 この画集には、日本をはじめとするアジア14カ国の矯正施設に入っている少年少女の絵画とエッセイが取り上げられております。「平和」「友情」「私の国」というテーマの中から、各自が選んで制作したものです。日常改めて顧みることの少ない、大変普遍的な言葉かもしれませんが、これらの観念的テーマに、少年院に入所している少年少女が取り組んでおります。

 この本が私の手許に届く前に、私は実は勝手なイメージを持ったわけですね。この本には暗くて、怒りに満ちた数々の、作品があるのではないかと私は思い浮かべておりました。何故なら、皆様もご想像いただけるように、問題を起こして少年院に入る子供たちの心は、荒廃しているに違いない、と考えたからであります。

「蘇る少年たち」(著者:国連NGOアジア刑政財団 発行:NHK出版)より転載。

素直で純粋な心を表現
  ところが、届いた画集の最初のページを開いて、描いたイメージとは全く違う絵を見た時の驚きに、私は本当に言葉が出ませんでした。そこにあった絵から私が受けた印象は、「なんと美しい絵だろう」というものだったからです。
  「月とウサギと雪だるま」と題された作品があります。冬の雪景色とともに雪だるま、楽しそうに踊る白いウサギだち。そして満天の星空に大きなまぁるい月が描かれております。本当に幻想的な透明な世界です。この絵が皆様のお席から遠すぎてご覧いただけないのが誠に残念ですけれども、お帰りの時、受付に5冊ほど置いてありますので、ご興味がおありの方は、あとでご覧いただきたいと思います。

  この絵に一緒に添えられたエッセイは、「私の国」と題され、日本のお月様を描いた理由、無限に広がる宇宙の中の小さな日本、そこに生きるちっぽけな自分は雪だるま、空に描かれた大きな月はお母さん。どんなに迷惑をかけても、いつも自分を見守ってくれるお母さんである、と書いてあるんですね。

可能性の萌芽を摘むもの
  次のページ、その次のページもきれいで明るい絵と素直な言葉が綴られています。これは一般 の少年少女の絵と比べて遜色がない、と言ってもいいと思いますね。非常に純粋、ほんとに涙が出るほど素直なんです。こんなに行動は荒れていても、心の純粋さは失ってない。こういう子供たちを何故傷つけているのか。迷ったり、傷ついたり、傷つけた経験を持つ身に、このような純粋な理想や夢、希望が託されている。

  この本の最後に法務省官房長が書かれた言葉を紹介します。「画一的な教育や、家庭・社会の基準に自己を合わせきれないまま、落ちこぼれた少年たちの中に、今後の社会のあり方にとって、最も頼もしい多種多様の才能や感性が隠されているのではないか」「経済的に豊かな社会をつくるために、その過程で心のひだを削り取り、お互いの気持ちを理解し合えないような社会にしてしまったのでは、何にもならない」と締めくくっているのであります。

  また、少年院での篤志面接委員の仕事に力を入れておられる歌手の千葉紘子さんの言葉を引用します。「人はみんな良いものも悪いものも、いっぱい抱えて生きている。悪い子だと言われる子どもの中にも、素晴らしい芽が数え切れないほど隠されている。その能力に気付き、励まし、本来もっている力を湧き起こし、よりよく生きてもらうのは、我々すべての大人ひとりひとりの仕事である」と書いておられます。この会場にいらっしゃる皆様、我々そのものを勇気付ける言葉だと私は思っております。私たち大人がまず、変わらなければならないと私は思います。でなければ、日本の国は変わりっこないのです。

  月と雪だるまを描いた18歳の少年は、暴走族のリーダーでした。カウンセリングの結果 では、熱中できるものを自分では見つけられないという診断を受けております。「熱中できることを自分では見つけられない」。果 たして、これが今の時代の日本人の、私たちの姿ではないかと思うんですね。

主体性のない日本人
  ある週刊誌の先週号が、私の目を惹きました。そこに「満足したい日本人」という記事がありました。お読みになった方もあるかと思います。そこには、買いたい物を片っ端から買っても、満足出来なかったり、頑張っている人を素直に評価できず、他人の不幸を探しては優越感を持つ主婦、またお金も、エネルギーもありながら、「情熱のもって行き場がない」と悩む女性の姿がありました。

  臨床心理士がコメントとして「個人が尊重されず、同質性、同調性の強い日本社会は、もともと一人一人の中に、『自分はこうしたい』という明確な欲求が希薄で、他人との比較で自分を位 置付けるのが日本人である」という言葉がありました。

同質性に安堵する日本人
  また、私がいつも使っている言葉ですが、日本人は「仲間はずれ恐怖症候群」に罹っているのではないか。みんなと同じであることで、何とか安心できる民族ではないか。人がしているから、人が身に付けているから、という価値基準でファッションが流行している。最近まで女子中高生がルーズソックスをはいておりましたけども、今は厚底が流行っております。ビジネスをなさっている方は、大儲けなさっているかもしれませんが、そういう若い女性で溢れ返っている日本。これを皆様、どういうように感じていらっしゃるか。しかし、そういう価値基準では結局、何にも満たされないんだと思います。

自分の基準を持とう
  私は40年前にアメリカに渡りまして、アメリカの新聞に載った、「欲望という階段には、限界がない」という記事を読んだことがあります。今回の記事にも「幸福を手に入れるために、どこかで欲望の制限のかけ方を考える必要がある。他人との比較ではない、自分だけの満足の基準を探ること」とその記事は述べておりましたけども、私もまさしくそうだと思います。

思いやりの心を表せる余裕
  物も情報も溢れる社会でありながら、いやそうした社会であるからこそ、私たち日本人は、自分たちの目標、生き甲斐ですね、人生の幸せが何であるかが見えない。そして、愛と思いやりの心を表に現わすことが出来なくなってしまったように思えてなりません。これが今の日本であります。人に優しくできる心の余裕が持てるかどうか――。

自分は なにものか
  それは、一人一人の存在が個として確立されているかどうか、の一点にかかるんだと私は思います。 そして、個の確立のために自分自身が一体何者なのかということを自分自身に問い掛けていただきたい。その結果 、ありのままの自分の存在を受け入れることが、まず必要だと思います。

  日本人の多くは、今の自分に満足できない状態で、周囲の人々に対して、充分な愛や思いやりの心を持つことは、難しいと私は思います。

自尊心と自負心
  私の長年の大親友に、ルー・タイスという男がいます。一昨年、ロータリーでもお招きいただいて、私と一緒にお話を致しました。この方は、能力開発の第一人者でありまして、現在ワシントン州のシアトルにTPIという教育研究機関をつくり、「自己実現」のための研修を世界中の企業や学校、刑務所、社会福祉施設で実施しております。

  彼は心について常に研究して、私にいつもその話をしてくれます。彼の言によれば、「個人が責任を取れば、社会は良くなる」と。これこそ個の確立だと私は思っております。彼によると、個人の責任感とは、私たち人間の自尊心と自負心に結び付いている、と言っております。人間の価値と重要性を認識する自尊心、そして自分にとっての大きな望みが叶うように行動できると感じる自負心、この二つがあれば、他者に対して、責任ある行動ができると説いております。社会を構成する一人一人が、このように責任ある行動をとれば、社会が良くなることは当たり前なんですね。

日本人の焦り、余裕のなさ
  さて、ここで私たちの周囲を見てみましょう。今の日本人は自尊心と自負心を持ち得ているでしょうか。過度に自分に自信を持つように、と言っているのではありません。また、もちろん自己中心になれ、と言うことでもございません。逆に、完璧でないから自尊心が持てない、ということとも違います。自分を完璧だと思っていなくても、不完全さを克服しようとしながらも、不完全な自分という現実を否定したり、避けたりせずに、受け入れている人が、しっかりとした自尊心を持つ人だと、私はそのように言いたいと思います。

  日本人の多くが、急激な変化の中で、今まで信じてきた価値観に疑問を持ったり、みずからの目指すもの、あるいは求めるものすら分からなくなっている現代であります。自分にとって何が幸せなのか、全くわからない状態にある、焦りや余裕の無さが、自尊心や自負心を持てない人間を生み出している、私にはそのように思えてなりません。

平和で純な心が社会を変える
  しかし、さっきの少年院の子どもに戻りますけども、彼らの心の奥に美しい夢があるように、私たちも心が平和で健康であれば、思いやり、優しさを持つことが出来る。

  子どもに対しては、特にその心を平和で健康な状態にしてやるように、愛情溢れる前向きのメッセージを伝えること。ありのままの子どもを愛してあげること。このことに尽きるのではないでしょうか。

    大人としては、優れた手本になれば、いいのではないかと思います。

  ただ、気をつけなければならないことがあります。優れた手本というのは、完璧な存在になれといことではありません。自分がつらい時に、感情をごまかしたり、うまくいっているフリをしたりする必要は全くないのであります。

  困難に対しても、自分の感情に対しても、常に素直に受け入れるという勇気を我々大人が持たなければならないと思います。社会を変えてゆくことは、私は可能だと思っています。

スウェーデンの若者を変えた女性
  皆様のお手許に、私が6年前に文春の巻頭言に書いた文章をお渡ししてあります。これはスウェーデンという国を変えた一主婦の物語です。

  当時のスウェーデンは、失業者が2割いました。多くの若者が就職にあぶれて、ぶらぶらして社会問題化しておったのです。この方はカーシャ・ベルグリンドさんといって、高校を出て薬局に勤めて、あるいは看護婦の病院の賄い婦をやったりした、ただ平凡な主婦でした。この平凡な主婦が遂に一冊の本を書きました。

  日本では出版されてないので、「勇気を出しなさいよ!」とでもいうタイトルを私がつけましたが、要は国民に対する動機付け、モチベイションの本です。これが当時のスウェーデンのベストセラーになりました。で、彼女の一冊の本がスウェーデンを変えました。

  では、どんな内容だったか。皆様は画期的な内容だった、とご想像なさるかもわかりませんが、そうじゃございませんで、誠に当たり前のことを、当たり前に書いている本なんです。

やる気を出した若者
  例えば「気にいる職を探す」という章では、「学歴がなくてもコンピュータの操作をマスターして、職に就けば、それだけで立派な知的労働者ですよ」といった具合です。このように読者にやる気を起こさせることに徹した本です。難しいことから始めなければならないというわけじゃありません。

  カーシャさんは日本の単車、ホンダを買ってスウェーデン国中を講演しました。その結果 有名になりまして、その後はテレビ局の社長になられて、ただいまはご主人と大きな牧場を経営なさっておるわけですが、カーシャさんの活動に賛同して、「日常生活で、社会に貢献できることは何でしょうか」といった市民の運動が始まったと聞いています。

  この話には後日談がありました。私はカーシャさんの話を文芸春秋の94年7月号で紹介したところ、私に無断で(入学試験なので、事前に教えていただけないのです)、獨協大学がこれを入学試験の小論文のテキストに採用されました。ある時草加せんべいが大量 に届いたものですから、何事かと開けてみたら、獨協大学学長からお詫びの手紙と、せんべいが入っていて、獨協大学が草加市にあることを初めて知った次第です(笑い)。余計な話をして申し訳ないんですが、そういうことも一つあったわけです。

当たり前のことを当たり前に取り組む
  「愛と思いやりの心」の思いやり、善意というのは、ロータリーの基本方針「奉仕」に通 じる言葉です。ボランティアの心はキリスト教の「汝のごとく人を愛せよ」が基本精神ですが、まずありのままの自分を受け入れ、愛せる人間でなければ、本当の意味での他人に対する愛はあり得ないと考えます。足りない処にばかり目がいって、満足や幸せが感じられない現代人が多いわけですが、そんな日本の中で、愛や思いやりの心を育てていくことは大変難しい。

  では、どうしたらいいのか。カーシャさんのようにごくごく当たり前のことを当たり前にやる。このことをもう一度真面 目に取り組む必要がありはしないだろうか。これが私に教えていただいたカーシャさんからのプレゼントであります。それが出来る世の中にしていかなければならないのではないかと思います。

大震災の中に芽生えた助け合い
  1995年1月の阪神淡路大震災の時でした。あれだけの震災の中で助け合う姿を、多勢の皆さんが、あるいはきょうここにいらっしゃる方が実際に活動され、見聞きされたと思います。思い出してみてください。私たちはみんな、そういう気持ちを持っている。それを育み、花を咲かせるきっかけを見つけられたんじゃないかな、と私は思っています。

  私どもの会社は、アメリカのジョージア州コロンバスという小さな町に本社を置いておりますが、そこの小学生が示してくれた活動を、思いやりの心を、皆様を勇気づけるためにご紹介申し上げます。

1セントコインの大きなお見舞
  コロンバスは人口20万人ぐらいの町ですが、そこにあるセントメアリー小学校は、そこに学ぶ子どもの85%が貧しい黒人の子弟です。その子どもたちが、地球の裏側と言える日本の大地震の被災者に見舞金を贈ろうと、誰かが言い出したと思うんですね。彼らが考えたことは、「みんなで1セントコインを集めて贈ろう」というアイデアでした。日本でいうと1円玉 です。小さな善意から生まれた1セントコインは9万枚に達する大きなプレゼントになりました。

  これが思いやりの心です。自分が金持ちだからとか、貧しいからとかには全く無関係だ、ということを知っていただきたいわけです。結局自分という存在が、一個の人間として確立しているかどうか、ということですね。それが善なるものとして受け入れられるものならば、困っている人を助けよう、人に役立ちたいという自然な思いが、子どもたちをそういう行動に走らせたわけです。

日本の前途をどう見るか
  日本の現状を考える時に、なにかを変えなくては大変なことになる、そういう気にさせる統計が最近立て続けに出ております。きょうはご婦人も多勢おいでですから、是非聞いていただきたいんですが、一つは、若者の使命感の無さ、であります。

  10年後に自分の国が良くなっているか、という質問に、中国・韓国は90%前後、アメリカが70%が良くなると答えているのに対し、日本はなんと36%に過ぎないという結果 が出ております。

  社会ルール、道徳心に関する躾についての調査では、「友達と仲良く」「うそをつかないように」といったことを親から言われて育った割合は、アメリカ、韓国、イギリス、ドイツの小中学生に比べて日本が最低だったとか。「人に迷惑をかけるな」も同じ結果 だそうです。

  同様に、世界11カ国の母親に、「子育ては楽しいか」という質問をしたところ、日本では楽しいと答えたのが、僅かに19.8%で下から2番目。イギリスは70%、米国でさえも49%だったそうです。

  今私たちが、本来の「愛や思いやりの心」を取り戻さなければ、この国はどうなってしまうのか。

  皆様是非真剣に考えていただきたい。まずここで、自分自身が何を大切にするのか、どうして生きてゆくのか、ということを考えてみていただきたいと思います。そして、ロータリアンの方も、そうでない方も、自分がまわりの人に対するやさしい気持ちを、どういう形で表現したらいいのだろうか、まず出来ることから始めていただくしかないと思います。

  やさしい心を具現しよう
  私も一企業の経営者です。企業というのは社会の一員でもあるわけです。ですから、社会を良くするために企業経営者も「愛と思いやりの心」を形にできなけれならないと思うんです。

  また阪神淡路大震災の話を出して恐縮ですが、当時のことを私は今、思い出しておりますけども、震災があった翌日、本社の最高経営責任者から電話が入りまして、「アメリカンファミリーとして、何をさせていただいたら、いいんだろうか」と聞かれました。私ども毛布もつくっていませんし、差し上げるような物資はないわけです。義援金を出すのがよいでしょう、とお答えしましたところ、彼は早速1億円ほどをアメリカ赤十字の総裁のところへ持って行ったそうです。この1億円を基に、アメリカで募金活動がスタートしました。大統領候補にも立候補したドール院内総務の夫人のエリザベス・ドールさんが、義援金を集めましょう、と一緒になって3億円を集めてくださいました。そこで私どもは、また3億円を上乗せしまして7億円を日本赤十字にお贈りしたわけです。

  その中に、もちろん先ほどご紹介したセントメアリー小学校の9万円も入っておりました。

他を思いやる企業の社会貢献活動
  がん保険を販売している会社として我々は何が出来るか。創業20周年を迎えた時に、「がん遺児奨学金制度」をつくりました。がんで親を亡くした「がん遺児」への奨学金として、多くの社員が毎月このプログラムに参加しております。

  昨年迎えた25周年記念に、がんなどの難病のために、遠く離れた東京で長い入院生活を送る子どもたちの親御さんが滞在できるように、宿舎をつくろうということで「AFLACペアレンツハウス」を建てるという新たなプロジェクトが始まり、厚生省から助成金をいただいて、今つくっております。今年の末には完成する予定ですので、皆様にもご活用願いたいと思います。

  社会に対する貢献活動で、社員一人ひとりが他人を思いやるという気持ちを形にすることを学んでくれれば、ということで我々一生懸命やっているわけです。

家庭優先のアメリカ
  米国と日本を単純に比較してはならないのですが、お昼の時に、一部の人と話していたんですけれども、アメリカでは何を一番大切にするか。家庭です。家庭人たることが第一です。良き市民であることが第二です。三番目に仕事です。仕事というのはプライオリティからいえば、最後になるわけです。日本においては大部分の時間を例えば会社員なら企業のために使っている。私どもの会社のアメリカ人をよく見てますと、会議でも来ていないことがある。息子がアメリカンフットボールで決勝戦に進んだから、会議よりも、そっちが大事だと、子どもの応援に駆けつけている。これは価値観の違いなんです。いい悪いを申し上げているんじゃありません。

  そういう親の姿を見て、子どもが育っているんだ、という親子の関係ですね。

仕事優先の日本
  でも、日本では逆です。これまで例えば企業というところは、働く者にとって生活の大部分を捧げ、特に父親は家庭人、社会人である前に、企業人であるという価値観を当たり前としてきました。そこで、人間としての自己実現は出来ていたでしょうか? そういう親の姿を見て、子どもたちは、自分が生まれ育つ社会を肯定できたでしょうか? 答えは否であっても、不思議ではありません。このことを真剣に考える必要があると思うんですね。私はそう思います。

全社員が参加する企業経営
  企業においては、ビジョンや理念があります。その理念を働いている一人ひとりが共有しなければ、会社は良くならない。

  私は、そこで個人が自己実現できるような環境を整えようとしております。僅か2千数百人の社員ですけども、その第一歩として、昨年「どういう会社にしたいか」について、全社員からレポートを書いてもらいました。2週間で全員が書いてくれましたけれども、「私たちが最も大切にすることは何なのか」「共有すべき価値基準は何なのか」。それに基づいて今冊子をつくっておりまして、それを全社員にまた戻す。それに基づいてまた、新たな宿題を私は出したいと考えています。今度は、その夢を実現するための組織は、どうあるべきか。全員でつくろうじゃないか。

  2001年というのは、全員参加の時代なんですね。ですから、一部の人間が、人事や組織をいじくっちゃ駄 目なんです。すべての社員が参加する企業を目指すべきだと私は思います。

自己実現努力が報われる社会
  まず大人が仕事を通じて、自己実現に向かって努力し、それが報われるような社会にしなければなりません。

  そうすれば子どもたちも、生き方によって報われる社会への信頼感を取り戻し、自分の生き方を真剣に考えられるようになるでしょう。自尊の気持ちや自己肯定感も持つことが可能となって、自らを愛し、そして他人も愛し、いたわる気持ちを、ごく自然に表せるようになるのではないでしょうか。

  そうして、社会全体で、その心を表現できる場や機会を増やしていければと願っております。

政策転換を図り始めた日本
  経済戦略会議や経済審議会のレポートと、99年の経済白書を読んでみると、3つのキーワードがあります。

   第一点、 結果の平等から機会の平等へ。

   第二点、 努力した人が報われる社会。

   第三点、 リスクへの挑戦

  であります。

  日本政府も遅れ馳せながら、180度政策転換を図っている。やっと、日本国が市民型社会を目指してきたなと感じます。

  私は今から6年前に「これでいいのか ニッポン」という本をNHKから出版し、その時に色々な方々からいろいろな質問を受けましたが、とにかく一向に日本は変わらなかった。 しかし、やっと今、日本は追い詰められて変わり始めた。非常にいいことではないかと思いますけども、自尊の気持ちや自己肯定感を持つことが可能となって、自らを愛し、そして他人も愛し、いたわる気持ちをごく自然に表せるようにすべきではないか。そういう社会をつくりたい。社会全体がそういう心を何らかの形で表現できる場や、機会を増やしてゆきたいと私は願っておるわけです。

まず個人から変わろう
  まとめに入らせていただきます。私はさっきご紹介した、この「蘇る少年たち」という画集が教えてくれる個の確立、自尊心、自負心という話をまとめてさせていただいたわけですけども、皆様方にとっても自分の能力を信じ、目標に向かって努力することが、益々大切な時代になって参りますし、そのたくましさこそが、私たち日本人に要求されていると思います。

人間らしく生きる意味
  そこで、皆様にひとつ良い言葉をプレゼントしたいんですけれども、「人生に意味を見出すには、人間は自分より大きな存在、すなわち神や国家との関係や義務を真剣に考え、そうした、より大きな存在に属していると感じることが必要だ」ということです。

  これは、アメリカの心理学会会長のマーチン・セリグマン博士が言っている言葉です。「愛と思うやりの心」について語る時に、この言葉を私はいつも大切にしたいと感じておりますので、ご紹介いたしました。

  是非、皆様もこの場にいらしたことをきっかけに、これからの生き方について、あるいは人間らしく生きるということについて、深く考えてみていただきたいと思います。

  きょうのお話が、どの程度皆様のヒントになったのか、お役に立ったのか分かりませんけれども、これから新しい人生を一人ひとりの方がスタートを切っていただく。人生のフレームワーク、あるいは企業経営者におかれましては、新しい21世紀型の企業のフレームワークにお役に立てていただけることを念じてやまないわけです。

  これからもまた皆様にお目にかかる機会をつくっていただけることと思いますけれども、きょうは、私のつたない経験と、そして私の知り得た情報を皆様にお伝えさせていただきました。皆様のこれからの人生に、多くの素晴らしい出会いがありますようにと祈りを込め、また、私自身もこれから皆様に負けないようにボランティアをやってゆきたいと念じて、私のスピーチを終えさせていただきたいと思います。ご静聴ありがとうございました。

●講師紹介

大竹美喜(おおたけ よしき)氏1939年、広島県生まれ。60歳
  60年、広島農業短期大学(現・広島県立大学)卒業後、米国留学。74年、アメリカンファミリー生命保険(アフラック)日本社を設立し、現在、在日代表・会長。日本で初めての「がん保険」でスタートした同社を、国内最大の外資系生保に成長させた。持株会社であるアフラックインコーポレーテッド取締役、アフラックインターナショナル取締役副会長を兼任。東京西北ロータリークラブ会員。
  社外における主な活動として、「国際経営者協会」副会長、株式会社「対日投資サポートサービス」取締役、社団法人「ニュービジネス協議会」副会長、「中小企業金融公庫」全国新事業育成審査会委員長、財団法人「国際科学振興財団」副会長、社団法人「経済同友会」幹事等の任にあって、.日本における新しいビジネス育成に尽力している。財団法人「さわやか福祉財団」理事、財団法人「国連大学協力会」評議員、学校法人「国際医療福祉大学」評議員、日本アスペン研究所監事等も歴任、村山内閣時代には経済審議会「次代を担う人材小委員会」委員を務めるなど、日本の未来を担う人材の育成にも尽力している。著書に「これでいいのかニッポン」「ポケットの中の人間学」「医療ビッグバンのすすめ」「医療改革シナリオをつぶすな」(ともにNHK出版社)、「リーダー改造論一21世紀型リーダーシップとは」(社団法人金融財政事情研究会)がある。米国ジョージア州名誉市民、コロンバス市(ジョージア州)名誉市民。92年4月には、米国連邦議会において「大竹美喜氏への賛辞表明」が議会記録に公式記載された。