大阪鶴見ロータリークラブ 国際ロータリー 第2660地区
 米山奨学会は東京ロータリークラブの米山梅吉翁の業績を記念して発足した、留学生応援の組織である。この会で運営される米山奨学金は1999ー2000年度では1016人の学生に支給され、累計では1万人以上に達する他の団体を断然圧するわが国最大の外国人学生対象の奨学金である。
 大阪鶴見ロータリークラブは、初年度に創立記念事業として、50万円の特別 寄付を行っている。また、2000年度6月30日現在の特別寄付金は、15,635,216円である。
 (なお、当クラブは、1,000万円達成クラブとして、1994年地区大会にて表彰を受けている。)

1998.4-2000.3 姜凱 (キョウ ガイ) (中華人民共和国)
1997.4-1997.6 江南 (Jiang Nan) ジャン・ナン (中華人民共和国)
1993-1994 謝文豪 (Cheah, Mun Hoe) チャー・マンホー (マレーシア)
1992-1994 于水 (Yu, Shui) ウ・スイ (中華人民共和国)
1987-1989 裴貞烈 (Bae, Jung Yeol) べ・ジョンヨル (大韓民国)

姜 凱 (キョウ ガイ)
1970.7.25生
中華人民共和国南京市
大阪大学基礎工学研究科数理情報専攻
1998.4-2000.3
カウンセラー 横山助光、小林省三('98-'99)中嶋英貴('99-'00)

●付記 キョウ・ガイ君よりの近況報告
大阪鶴見ロータリークラブの皆様、お世話になった1998-2000年度の米山奨学生、姜凱です。ご無沙汰しておりますが、皆様、お元気でしょうか」今年4月に沖電気工業株式会社に就職してから、あっという間に、そろそろ半年になります。お蔭様で、今は毎日自分の好きな仕事をして、頑張っております。仕事内容は、高速道路監視の画像処理技術の研究と開発です。これからの何年間にわたって全日本の高速道路監視に普及するという国家プロジェクトがあるからです。お世話になった2年間のことは、今ごろも時々思い出して、懐かしい2年間ですね。東京米山学友会とのご連絡を取りまして、学友会の活動を参加しております。近況の報告は、とりあえずここまで。それでは、失礼致します。 姜凱(キョウガイ) kyo@image.med.osaka-u.a 沖電気工業株式会社 システムソリューションカンパニー情報技術開発センタ kyou464@oki.co.jp

江 南(Jiang Nan) ジャン・ナン
1967.2.3生
中華人民共和国遼寧省落陽市
大阪大学工業研究科電気工学専攻
1997.4-1997.6
カウンセラー 岩倉完治、堤之柳太郎
(註、ジャン君は米山奨学生決定後、国費奨学金を支給されることになったので、規則により米山奨学生を辞退しました。)


謝文豪 (Cheah, Mun Hoe) チャー・マンホー

1969.5.10生
マレーシア東マレーシア
立命館大学経営学部経営学科国際産業流通コース

1993-1994
カウンセラー 福地悟、高橋正明



チャー君の思い出 福地 悟
1993年4月から1年間、米山奨学生の謝文豪君のカウンセラーとして高橋正明さんと共にお世話した。真面 目な努力家で、日本語も堪能で、大学では「マレーシアの工業化」について卒業論文をまとめ、目出度く卒業した。卒業後の身の振り方について本人の意向をたずねたところ、母国マレーシアに進出している日本企業に就職したいとの希望を持っていることがわかりました。そこでJETRO(日本貿易振興会)の大阪事務所へ行って、マレーシアに進出している企業名を調査して本人に示しました。本人はその中から数社の就職試験を受けたいとの希望を述べました。そこで日本三菱自動車など2、3の企業の人事課に手紙を書いて就職依頼をしました。しかし各企業からは「来年度は採用予定はない」とのことで、就職試験を受けるにいたらず、大学卒業後母国に帰りました。その後、本人から何の連絡もなくどうしているかなと気にかかっていました。約半年後に突然電話がかかってきて、「京都にある村田製作所に就職して、ただ今は、研修のため石川県にきている。」との事。「帰国の際には大阪にも立ち寄ってください。お会いしたい」と話しましたが、再開はできずそのまま今日に到っております。

1992-1994
于水 (Yu, Shui) ウ・スイ

1964.8.24生
中華人民共和国大連市
大阪市立大学大学院法学研究科民事法専攻

1992-1994
カウンセラー 清水正憲、(坂東宏和)

ウ君の思い出 清水正憲
彼は、大人(たいじん)というべき人物である。しかも、回りへの気配りを忘れない、大変感じいい留学生であった。専門は、商法の取締役責任論と損害賠償責任保険論であったが、ちょうど、世間で株主代表訴訟と取締役の責任が注目され出した頃で、時流に乗ったね、と話し合った記憶がある。いずれは、非常に優れた弁護士か法学者になることと思うが、実は宝塚歌劇ファンという意外な一面 も持っている秀才である。
ウ君の近況 佐藤俊一  
ウ君は私の会長時代の奨学生であったこともあって、家族共々親しくお付き合いさせていただいた。1998年、夫婦での中国旅行の折、彼のいる大連に立ち寄った。彼は、街の中心にある高層ビルの弁護士事務所(律師事務所)に勤め、日本と中国の企業の契約などの仕事に携わっており非常に忙しい日々を送っているようだ。幸い休日に会うことができたので、彼も快く案内役をかってくれた。大連名物の海鮮料理をご馳走にあずかったのち、カラオケバーに連れて行ってくれた。そこは日本のような個室でなく、クラブに似て、横に若い女性がつき、たどたどしい日本語であいてしてくれる。歌は殆んどが日本の歌で、日本のビジネスマンむけの憩いの場所なのであろう。また、ホステスにとっては、日本人と知り合いになって日本へ行くチャンスを探しているのか
もしれない。彼は、異業種間のグループにも属しており、そのようなグループが将来のロータリークラブの前身となって欲しいと願っているが、中国政府が認めない事にはロータリーのような国際的組織はできないようである。うれしいことに、この事に関して国際ロータリーの役員が、中国政府の担当者と話し合う機会をつくることになったという最新のニュースがあり、将来に希望が持てそうである。

裴貞烈 (Bae, Jung Yeol) べ・ジョンヨル
1987-1989

1960.12.28生
大韓民国大田市
大阪市立大学大学院文学研究科国文学専攻
カウンセラー 大内照男、岡田彌

(注)べ君には、米山奨学金受給終了後も当クラブ有志により、1年間の学資援助を継続した。

べ君の思い出 故大内照男  
 裴君の米山カウンセラーを初代会長の岡田さんと直前会長だった私がお引き受けした。韓国の大田市の出身で韓南大卒、大阪市大で日本の古典文学を専攻していた。担当の増山教授に何回か面 談して指導方法を教わった。2児の父親で長男は太郎君、日本で勉学できることと、米山奨学生に選ばれたことを大変誇りにしていた。米山奨学金が終了してからも、当クラブの会員で援助を続けた。会員の皆さんに心からお礼申します。
 べ君のお世話をしている時、IGF(IM)の主催が回ってきて、留学生問題をテーマとして取り上げた。当日はべ君をはじめ多数の留学生(のちに米山奨学生となるウ君もその一人)を招待して参加ロータリアンと共に討議に加わってもらった。この会は他の参加クラブロータリアンから好評をはくし、成功裡に終わったといっていいだろう。それがきっかけとなり、クラブの5周年記念事業のひとつとして国際交流基金が設立された。福地会長の年には、初めて「鶴見区民祭り」に参加し、この時にも多くの留学生がお国自慢の料理をして参加者に食べてもらった。べ君夫妻は韓国の「ちじみ」という、お好み焼きに似たメニューを作ってくれた。国際交流基金を使った「留学生の作文コンクール」および、「区民祭り参加」など今日まで継続している事業の多くはその頃発足したものであり、米山奨学生と深くつながっている。彼は、韓国に帰国後、日本語の講師としての職を探していたときいているが、当時の韓国の国情からみて、なかなかそのようなポストに就く事は困難であったようだ。今日、日韓関係も好転しつつある時代となり、彼のキャリアーが生かされることを陰ながら祈っている。