第1部 基調講演「留学生をめぐる現場から」

●コーディネーター 大阪市立大学前学長木村英一
●講演者 (財)関西国際学友会常務理事 浦野吉太郎 
      大阪市立大学教授 佐藤全仏

木村 只今、ご紹介頂きました、大阪住吉RCの木村でございます。本日の第1部、基調講演のコーディネ一ターを仰せ付かりました。どうぞよろしくお願い致します。

わが国では、最近「国際化」という言葉が盛んに言われておりますが、この国際化も今や日本としましては、世界の情勢を受け身に色々と理解するに留まらず、もっと積極的に世界に何が貢献できるかを考えるべき時が来ている、逆に言えば、どういう貢献を日本がしてくれるだろうかということが、世界から現在大変期待されている状態になっております。

その中で、お国を遠く離れて風俗・習慣・生活様式・言葉と色々と異なる所で勉強なさる留学生の方々、将来各々のお国で、国を背負って活躍される方々を如何にして温かく迎え、そして十分に留学の目的が達せられますように何かお手伝いをしたいということで、本日のフォーラムが開かれております。これは国際奉仕をモットーと致します国際ロータリーとしては当然のことでございますが、今までI.G.F.でこういう問題が取り上げられたことは、私の存じている範囲では初めてではないかと思います。それだけに、このお世話を下さった方々の準備は大変なご苦労だったと思います。留学生の方々にどういう温かい手を差し延べたらいいのかということも、留学生問題について正しい認識を深めるということから始まろうかと思います。最近は新聞、テレビ、あるいは週刊誌で盛んに留学生問題が取り上げられております。色々と問題も起こっておりますが、中途半端な知識、あるいは善意がありましても、中途半端なお世話ということは、かえって誤解を招くというようなことも過去の経験でございますので、本日はまず基調講演としまして、現在で実際に留学生のお世話をなさっているお2人の先生からお話をお聞きし、次いで留学生の方々とRCの皆様の懇談に進みたいと思います。大変に短い時間でございますから、すべてを尽くすということにはとても参りませんが、まず、どういうことが問題であるかということにつきまして、問題提起ということでこれから基調講演をお願い致します。

最初に講演をお願い致しますのは、浦野吉太郎先生で、只今、日本語学校の校長先生でございます。先生はまた、大阪市関係の関西国際学友会の常務理事をなさっています。日本には「日本語学校」と称する学校が沢山ございますが、誠に遺憾ながら最近色々と問題を起こしている学校もございます。浦野先生の日本語学校は、日本の中でも模範的な日本語学校で、文部省の信頼も非常に厚うございます。それと申しますのも、浦野先生は大阪北RCの会員でいらっしゃいまして、ロータリー精神に徹して校長先生自ら学生の一一人一人に温かい心を配られまして、一人一人の悩みあるいは希望などの声を直に聞いていらっしゃいます。 今日は、先生の日本語学校の実情、日本語学校はこれから大学あるいは専門学校で学ぶ最初の扉の開かれるところでございますが、そこでどういう問題があるかということの生の声をこれから皆さんにお聞き項き、まず問題提起して頂きます。次に、大阪市内にキャンパスのある大学で、留学生の方々が沢山勉強していらっしゃる大学の一つの代表と致しまして、大阪市立大学の佐藤先生にお話を頂くことになっております。では、浦野先生からよろしくお願い致します。

浦野 只今は、木村先生から大変な讃辞を頂きまして恐縮しております。大分時間がたってまいりましたので、肩が凝らないようなお話をさせて頂こうと思います。

クイズを差し上げたいと思います。皆さん、大阪に「アジア村」があることをご存じでございましょうか。大阪のミナミにはアメリカ村やあるいはヨーロッパ村がございます。しかし、大阪には実はアジア村がございます。このアジア村は、残念ながら大阪では全然有名ではございません。しかしながらアジアの各地におきましては、この村は大変有名でございます。その名を慕い憧れてくるアジアの若者が沢山いるわけでございます。この村の在住者は、国別 で申しますと、中国、台湾、韓国、香港、タイ、マレーシア、シンガポール等アジア系が90%でございます。その他欧米系、あるいは今日この会場に来ていると思いますが、チュニジアとかアフリカの学生も若干混住致しております。

アジア村の外国人学生は約340人で、日本人スタッフが約80人。学生の年令は平均25〜26才です。世界でも稀に見る若者王国でございます。ところで、その中にありまして、私が最年長でございまして、いわば村長のような仕事をさせて頂いております。村民の在住期間は1〜1年半で、長くても2年以内でございます。さて、この村は大阪国際交流センターの敷地内に、ここから歩いて3分、至近距離にございます。そして、そこには「関西国際学友会日本語学校」という独立国のポールを立てております。しかし、独立国と申しましても、日本政府あるいは大阪府、市から非常に手厚いご援助を頂いております。特に大阪市からは、学校を始めて30数年このかた、まだ地代家賃の請求書を一度も項いたことがございません。大変有りがたく存じております。

この村の存立目的は、アジアの若者を日本の大学院あるいは大学等に進学させることでございます。お手元にご配付申し上げております私ども学校の機関紙「ISI」のP.31以後に進学先を載せさせて項いております。

外国人学生が日本で学ぶことの難しさは、特にこの頃は経済の問題がございますけれど、やはり何と言っても「日本語の障害」のハードルを越すのが1番大変な技ではないかと思います。言語学者によりますと、日本語は母音が5つしかないから難しくないとか、あるいは易しいとか、あるいは世界の言語の中でも典型的な人類言語であるとか色々なご意見がございます。学者のご意見はさておきまして、実際に学生たちが私の学校に入りまして1年あまりの間で日本語を勉強するということになりますと、期間にして約200日でございます。と申しますのは、国公立の大学に入りますためには日本人学生の共通 一次試験に該当する試験を受けねばなりません。それには日本語能力試験、それから統一試験(基礎科目)とあり、これで60%〜70%の成績を取らないと有力な国公立の大学には入ることができないわけでございます。佐藤先生の大学(大阪市大)にも、やはり70%ぐらいは取らないと合格を認めて頂けないということでございます。この席をお借りしまして佐藤先生にも、よろしくお願い申し上げます。

4月に当校に入り、200日で日本語能力試験の1級の試験を受けなければいけないわけですが1級と申しますと漢字にして約2,000字、語彙にして約10,000語でございます。ですから、これを計算してみますと1日に漢字10字、ボキャブラリーは実に50語を覚えなければ間に合わない勘定になります。これは機械的な計算で、現実的ではございませんけれども、本当に難しい問題でございます。因みに、小学校では1年-6年の間に1,000字覚えることになっております。

この問題に関しまして、イタリアの先生で現在法政大学で教鞭を執っておられるかと思いますがドミニカ・ラガナ氏が日本語の難しさ、特に「音と訓の難しさ」について、非常に面 白い著書を最近出されております。私どもの学生の悩みも全く一緒でございます。先生は特に「女心」という字について大変悩まれたそうでございます。

「女」という漢字を中国読みすれば、私、うまく発音できませんので申し上げませんけれども、一つだけの読み方でございます。しかし、これが日本語読みになりますと、ジョ、ニョ、ニョウ、オンナ、メと5つの基本的な読み方がございます。それからさらに、「女郎花」のオミナ、そして姓名、地名では、コ、タガ、ヨシ、ナオ、ウナと色々あるわけでして、ドミニカ先生は、私どもよりはるかに詳しく勉強されております。女街(ゼゲン)、女将(オカミ)とかもあります。女と心を一字ずつ読むことができましても、果 たしてどれが正しい読み方なのか、大変困られたそうです。ジョシン、ジョジン、ニョシン、ニョジン、ジョココロ、ニョココロ、ジヨゴコロ、ニヨゴコロ、ニヨウココロ、オンナココロ、オンナゴコロ…と、やっと正解が出てまいりました。しかし、尚18もの読み方が理論的にはあるそうでございます。そこで、この音と訓の読み方に悩まれまして、ついに不眠症になって、日本大使館に手紙を書かれたそうでございます。「女心」に'悩むのは皆さんだけではございませんで、外国からの留学生にとっては、私どもよりさらに十数倍する悩みとなるわけでございます。

私、今日、この女心につきまして、一つの手紙を持ってまいりました。私どもの学校を卒業しましてある大学で勉強をしている学生からの手紙でございます。さる1月15日に成人式に招かれまして、堺市役所で成人式のお祝いを言ったということでございます。その文面 を読み上げてみたいと思います。

『皆さん、この度成人式を迎えられ、おめでとうございます。私は、中国上海からまいりました○○と申します。今日、皆さんと一緒にこの日を楽しむことを、心から喜んでおります。子供は嫌だ、一日も早く大人になりたい、と皆さんも子供の頃、こんなことを考えていたでしょう。光陰矢の如し、皆さんが立派になろうとする今、これから現代社会をどう捉え、どう生きるかが大切なことだと思います。新聞、雑誌などで国際化という字をよく見ます。国際化とは外国の言葉が話せることでしょうか。あるいは一緒に踊ったり、食事をしたりすることでしょうか。そうです。どれも国際化のためには必要なことです。でも、これでは、本当の国際化とは言えません。人と人とが本当にお付き合いするためには、まず自分自身のことを知るのが大切です。でも、知るだけではいけません。国際化、国際交流、国際親善にとって一番大切なことは、相手の立場に立って考えてみることです。相手の喜びを自分の喜びと思い、相手の傷みを自分の傷みと思うことが大切です。日本では、国際交流とは青い目をして高い鼻をした人とお付き合いすることだ、と思う人が多いようです。それでは、私たち中国人は青いコンタクトレンズをして鼻を整形したらよいのでしょうか。色や形より心、そして心の傷みを分け合って世界の平和に努力することが国際化の大きい目標だと思います。よりよき社会人として、国際人としてのご活躍を願って、簡単ですがお祝いの言葉と致します。』

誠に立派な文章でございます。私、この文章を貰いまして、大変驚きました。多分、これはゴーストライターがいるのではないかと思いまして、後日彼女がまいりました時に尋ねてみましたところ、『大学の先生に、テニオハを直して頂きました。ですけれど、日本語には丁寧語、謙譲語、あるいは待遇語と色々あって、非常に難しいです』と言うわけです。そこで私、よくできる学生にはもっと意地悪な質問をしてみたくなるのが教師の通 弊かと思いますけれど、彼女に問題を出してみました。4つの短い文章を書いてみたわけです。留学生の皆さんは、いつかお受けになった聴解試験を思い出して、よくお聞き頂きたいと思います。それから、またロータリアンの皆さんはお答え項かない方がいいかと思います。もしお間違えになりますと、留学生諸君も出席しておりますので、国際問題となっても大変でございますので…というくらい、仲々ややこしい問題でございます。

●「は」と「が」の助詞の使い方について
1.去年まで太郎と花子が恋人でした。でも今、花子は次郎の恋人です。
2.去年まで太郎と花子が恋人でした。でも今、花子が次郎の恋人です。
3.去年まで太郎と花子は恋人でした。でも今、花子は次郎の恋人です。
4.去年まで太郎と花子は恋人でした。でも今、花子が次郎の恋人です。

さて、お分かりになりましたでしょうか。実は私こうして読み上げてみまして、あがっているせいですか、ふとどれが正解か分からなくなってしまいました。この中に正解が2つございます。従って間違っているものも2つございます。これは仲々難しい説明でございまして、私が果 たしてうまく説明できるかどうか分かりませんので、これは省略致します。

このような例を上げましたのは、日本語と申しますのは勘だとか、一つの慣れでございまして、規範文法を成立させるには、仲々難しい言語でございます。従って私は、留学生の皆さんにこのような難しい日本語を勉強して頂くことを心から申し訳なく思い、またご同情申し上げたいと考えております。

もう一つ、助詞の「に」の用法につきましてもそれが如何に難しいか、お話申し上げてみたいと思います。

1. 机の上に本がある。
2. 図書館に行く。
3. おたまじゃくしが、蛙になる。
4. 手に手をとって、逃げて行く。
5. 10時にデートしましょう。
6. 紺の服に赤いネクタイがよく似合う。
7. お寿司に弁当にサンドイッチは如何ですか。
8. 気になる女の子。
9. 絵になる男の子。
10. などなど言って父に叱られた。

では、この中に「に」の用法がいくつありますか。いくつあると答えられる方はまずないと思います。また、用法を考えていては、日本語が全然喋れなくなります。失語症になります。いくつあると答えられる先生は、少なくとも私の学校にしかいないと思います。お答えは「12通 り」でございます。

私は、このような話を学生たちとするのが大変好きでございます。そして、よく暇をみつけては学生たちのアパート、マンション等に招いてもらうことにしています。先日も、そういうことで学生たちに招いてもらいました。小さな一部屋に学生十数人、台湾を始めとする各国の学生がおりました。そしてご馳走はギョーザでございました。小さな部屋で、普段勉強している机をきれいに拭きまして、その上に粉を撒いて、棒でうまくギョーザの皮を作って、非常に和気あいあいと、そこにはボーダーレス、国境のない世界、正にユートピアがございました。またこんな時でなければ、学生たちは本当のことを語ってくれません。そこで私が聞きました色々な学生の意見、日本をどう考え、どう理解しているのかをご参考までにピックアップしてお話し申し上げたいと思います。

1.明治以後一世紀余の短期間に、日本は近代国家に変貌し、欧米社会を完全に咀嚼した。今や一人当たりGNP、あるいはハイテクの面 で欧米との地位を逆転させた。日本人の偉大さにひかれて日本留学を志した。
2.だが、来てみた日本は、外で考えた日本とは大きく異なっていた。1DKのこの部屋は家賃6万円、日本の大学卒の初任給は平均15万、そしてこの部屋をその人たちは借りることができるだろうか。
3.豊かなのは数字だけで、帰宅時のサラリーマンの表情は、地下鉄の中で疲れきっていて、眉間にシワをよせている。実に無残である。とても幸せな社会であるとは思えない。だから、大の大人がマンガを読むのだろうか。それから、奥さんが子供を連れてパチンコに行くのはどういうことなんだろうか。恐らく「風呂、めし、寝る」の3語しか言わないご主人に愛想を尽かしたのではないだろうか。
4.でも、マンガを読む男は人畜無害である。困るのは地下鉄の中の痴漢である。概して言うならば、日本の男性は助平である。 (助平というのは、私が言ったのではございませんで、学生自身の言葉でございます。) 盛り場を歩いていると、後ろから来て『お茶を飲みませんか』とか、あるいは、車で徐行してきて『乗りませんか』とか、そういう誘いがある。そしてそれは殆ど40過ぎの男性である。(私はそれより大分上でございますけれども、日本の中年男性の助平ぶりは目にあまる、ということでございます。)
5.自分たちの子供が成人した時、果して日本に留学したいというであろうか。子供自身の意志に任すが、しかしその時代に、日本はいまのような経済大国であり続けることができるであろうか。
6.今、双子の赤字で悩むアメリカだけれど、その潜在能力は馬鹿にできない。今でも、成績の良い学生は、自分たちの友達を見ても、やはり一番アメリカに行きたがる。しかし、アメリカの赤字も大変で、日本も国債を沢山買っているけれど、アメリカが双子の赤字の一つである財政赤字を解消するために、もしインフレ策を取れば、国債を沢山買っている日本はどうなるのであろうか。日本の円高がいつまで続くのであろうか。私たちはそういう目でも見ている。
7.一時、斜陽化と言われた英国も、鉄の女宰相サッチャーの下で甦った。日本の竹下さんの指導力で果 して世界に貢献できる日本であり続けられるだろうか。(これも、大変耳の痛い言葉でございました。)
8.日本は世界に向けて、特にアジア諸国に向けて、もっとワイドでズームする視野を持たないといけない。気がつけば世界の中で孤.立化をしているのではないだろうか。
9.私たちの日本理解はまだ不十分です。このあいだ、里親さんの所に、お正月に招いて頂きました。その時冷たいご馳走ばかり食べさせられました。大変冷たい人たちだと思いました。ところが、後で聞きますと、心のこもった暖かいおせち料理であることを知りました。ですから私たちは、もっと日本を理解したい。にもかかわらず、日本の方は欧米の方が優先であって、私たちを顧みようとしない。そして、自分のクラスのフランス人のフィリップはアルバイト料が1時間1,500円で、なぜ私たちは600円なのか。次期アメリカ大使は「親日派」だと言って日本人は期待している。しかし当のご本人は、「私は日本のスペシャリストではない。私はアジアのエリアスタディの専門家である。」と言っている。だから次期アメリカ大使は、日本だけに固定焦点を当てているわけではない。日本人の考え方は甘すぎるのではないだろうか。さらに、自分たちも日本に視点を置きながらアジアの友人と広く交流し、アジアエリアスタディをやることによって、同じアジア人として21世紀をどのように生きるべきか、広い視野と展望を持ちたい。

下手な日本語ではございますけれども、訥々として辛辣に、色々と語ってくれました。私、その話を聞いているうちに段々と胸がつかえてまいりまして、折角のおいしいギョーザでございましたけれど、あまり食べられないで、冷たくなった紹興酒を傾けるのみでございました。まだ、会話が続きます。『先生、大阪大学には日本学(ジャパノロジー)という講座があります。なぜ日本学だけあって、アジア学というのがないのでしょうか。もっとアジアの総合科学としての勉強をさせてほしい』と言っていました。それから、ある大学の日本文化専攻の学生でございますけれど、その学生は、いま日本の紙(和紙)の製法とか歴史を勉強しているが、日本文化に和紙は関係あるけれども、どうも物足りない、と言っておりました。あるいは、もう一人の学生は「更級日記」を勉強していて、『先生、さらしな日記ってどういう字を書きますか。』と言うので、私、サラサラと「更科」という字を書いたわけでございます。そうしますと、その学生に、『それはウドン屋の、暖簾に書いてある字ですね。』と言われ、ギョッと致しまして、手元の小さな辞書を学生に借りて引いたところ、こういう字は載っておりませんで、古い記憶を辿りまして、やっと正しい「更級」という字を書きましたが、しかし、それ以上のコメントは実はできませんでした。先程の手紙にもありましたように国際交流のためにはまず、日本自身のことをよく知らねばならない。このことを痛切に考えた一日でございました。  

数年前に中国山東省の師範大学の先生のご訪問を受けました。私、その方のお嬢さんを預かっていたものですから、私の学校に来訪されたわけでございます。たまたまその方は、私の大学の先輩だったものですから、大阪のミナミに行き、一献傾けました。年の暮れでございました。数日後、年が明けて、テレビを見ておりますと皇居参賀の風景が映しだされ、いまは亡き陛下のお元気なお姿がでてまいりました。そこで驚いたことに先程の先生がクローズ・アップで画面 に映し出されました。最前列においでになりました。そして、後日先生にお会いした時に、『先生、皇居参賀をなさいましたか。』とお訊ねしましたところ、『はい、参りました。陛下はお元気で、なによりでございました。』と、おっしゃいました。その後また、手紙を頂きまして、お嬢さんが、私どもの学校を卒業された後、東京の大学を卒業して、日本人の夫君を見つけられて、結婚式をあげることになった招待状でございました。ですから、これは昔の、そして現在の留学の一つの成功例だと思います。ともすれば私たちは、のめり込むような気持ちで親日派をつくりたい、あるいは知日派をつくりたいと、このようなことを日夜念じております。しかしながら、現在ではこのような考え方は少し古いのではないだろうかと、学生たちと話をしながら考え始めております。親日派、知日派というような考え方は、実は垂直的な、求心的なものの考え方ではないだろうか、もっと水平方向の放射状と申しますか、遠心力的な、アジアの友としての観点に立たないと、学生の言うワイドでズームな留学生教育はできないのではなかろうかと反省を致しております。  

私、数年前に中国政府に招かれまして、中国国内を約2週間旅をしたことがございます。その時2週間にわたって通 訳、案内をしてくれた若い方がございます。旅の最後の日に『2週間の中国の旅はいかがでしたか』と言う質問がありました。そこで私は『中国は広大であり、そして4千年〜5千年の長い歴史を持つ国である。わずか2週間の旅行では、今申し上げることはできません。日本に帰りまして、ようく整理整頓してご返事致したいと思います』と申し上げました。その方はかなり不快なご様子でございました。『日本人を沢山案内したけれど、あなたのような答え方をした人は、今まで一人といませんでした』と言われました。確かに日本人は中国にまいりますと、広大な土地、古い文物に憧れて心酔する方がございます。また一方、もう2度とあんな国には行きたくないと、これはご婦人方に多いようでございます。しかし、私はそのどちらでもございません。台湾にまいりました時、かつて日本人が皆殺しになった、いや死んだのは日本人ばかりではない、非常に不幸な過去の歴史のある霧社事件の場所に案内されました。台湾の方は何もおっしゃいませんでした。私は日華親善を心から祈って、深く頭を垂れるだけでございました。しかし、中国の旅を致しまして、私、何も中国の悪口を申し上げる気は毛頭ございません。ただ、深く胸に突き刺さった大きいトゲが、私に中国に対する感想を自由に述べさせなかったわけでございます。と申しますのは、旅の最後に大連外国語学院を訪問致しました。そこの院長の劉先生が、私が到着した夜の遅くに、『明日、中国全土の日本語の先生の学会があるので、是非、出席してほしい。奥地から来る先生には日本人を見たこともない人がいるかも知れない。まして、日本人が目の前で喋っているのを聞いたこともない先生がいるかも知れない。だから、日本人のサンプルとして顔だけでも並べてくれないか』と、私、日本人のサンプルのような顔じゃございませんけれども、当時VIPのような待遇を項いておりましたので、懇請黙し難くお引受することに致しました。その時のことでございます。私、この通 り、あまり上手なスピーチではございませんので、今日はロータリーの方でおやすみになっている方はいらっしゃらないのですけれど、5分〜10分たつうちにコクリコクリと、おやすみになる先生が出てまいりました。そこで、話を一転いたしまして『私は、かってお国との戦いにおいて何も関係したことはございません。むしろ私自身、戦争の被害者でした。ただし、日本人の一人としてお国に大変なご迷惑をおかけしました。いや、ご迷惑というような言葉では表現できない非道な振舞いの数々があったことを、お詫び申し上げたい・・・云々』と、素直な気持ちで申し上げました。ところがいかがでしょう。今まで眠っていた先生がスクッと頭を上げ、さらに皆さんの射るような視線が集まってまいりました。中国の旅の印象は、それが殆ど全部と言ってもよかろうかと思います。最近ホイットマンという人の詩の一節にぶつかりました。そして私が考え続けた何かを、心の中で掘り当てたような感じが致しました。少しギザなお話になりまして恥ずかしいのですが、そのホイットマンの詩を引用させて頂きたいと思うのでございます。  

寒さに震えた者ほど、太陽の暖かさを感じる。人生の悩みを潜った者ほど、人生の貴さを知る。  

ホイットマンの意には添わないかも知れませんが、私なりのスタンスで、あえて、この詩を改ざん致しました。

寒さに震えた者ほど、太陽の暖かさを感じる。されど、あの寒さの呪いを忘れはしない。人生の悩みを潜った者ほど、人生の貴さを知る。されど、あの恥辱の日々を忘れはしない。

太行天皇の大喪の日が近づいてまいりました。私は、多くのアジア学生たちと日本文化の象徴とも言える昭和天皇について話し合いを致しました。今日はそれに触れることは致しません。しかし、わずか40年余でこの不幸な戦いの傷痕が癒えるとは思いませんし、また、風化するとは思いません。学生と対話をしながら、私はそれを痛いほど感じたわけでございます。あの寒さの呪いを忘れはしない。あの恥辱の日々を忘れはしない。私にとってこのほうが、ホイットマンの詩よりもよほどよく考えなければならない問題だと思います。

大正、昭和、平成、三代を生きる男として、そして留学生教育に携わる者として、もしこの心を忘れるならば、留学生教育の所期の目的を達成することは到底できないのではないかと思います。一言にして言いますならば、孔子の忠恕の心だと思います。今上天皇の大変お好きな言葉だと伺っております。「自分に素直に、自分に正直に、そして人の心を思いやれ」この忠恕の心こそ、今後大切にして行かなければならない問題ではないかと、私は思っております。

私、外国の学生たちに囲まれて生きておりまして、日本の若い方たちをあまりよく存じません。しかし、概して言うならば、外国の若い方は非常にフランクであり、遠慮しないで自己主張をしてくれます。そして個性的でございます。日本の若者(学生)は、どちらかと言うと、モラトリアム人間と申しますか、あるいは、しらけムードと申しますか、没個性のような感じが致してなりません。

19世紀の思想家ジョン・スチュアートが、次のようなことを言っております。

『ある国民はある時期に進歩し、それから進歩が止まる時がある。進歩が止まる時はいつか。それは、国民が個性を失う時である。』

日本人は、ややもしますと集団主義、情緒主義あるいは揺れ動く価値観、あるいは金魚の糞族、あるいは群れたがるメダカ族、あるいはコロッと忘れるコロリ病症候群、こういうように色々な特徴があるようでございます。特に最近の若い人たちは偏差値を優先致しまして、自分を見失って没個性化して行くような感じが致してなりません。私は私が最も愛する日本について悪口を言いたくはありません。ただ今日こうして、各テーブルにわかれてお話しされる時の材料にして頂ければ有り難いと思いまして、敢えて私の愛する日本の悪口を言ったわけでございます。今日出席の学生の方も遠慮しないで日本の悪口を言って下さい。もし、いい所があれば、それもおっしゃって頂ければ幸いです。

最後に一番大切なことを申し上げます。私の学校の学生の100%は私費留学生でございます。この私費留学生の中には母国から送ってくるお金に頼るわけにはいかない学生が沢山おります。お金持ちの学生もいます。夏休みにハワイでゴルフをしたと言って、真っ黒になって帰ってくるハンディがシングルの学生もいます。しかし、中には非常に苦しい学生も多いわけでございまして、幸いロータリークラブやライオンズクラブ、あるいは個人のご奉仕を頂いて、今年度約40名の学生に対しまして入学祝いとして、一人10万円の奨学資金を、支給することができるようになりました。大変有難いことだと思っております。ところが折角、国公立の大学に合格しながら、納期寸前の一時間ぐらい前になって、『先生、どうしても前納するお金18万円がありません。助けて下さい!』と言ってくる学生もおります。泣き崩れます。私も、この歳になって、つい貰い泣きすることも1回や2回ではございません。どうぞ、こういう不遇な私費留学生のために、物心両面 のご援助を与えて頂きますことをお願い申し上げまして私のお話を終わらせて頂きます。どうも、ご清聴有り難うございました。

木村 只今、アジア村の村長さんのお話しはこのI.G.F.でなくては、聞けないお話しだったと思います。もっとお話を承りたいのですが時間の制限がございまして残念です。しかし、今留学生さんの本音を紹介して頂きましたが、これは私たちの醜い顔でございます。ロータリアンが鏡に写 った顔を反省致しまして、そして最後に村長さんが声涙ともに下して留学生のためにとおっしゃったこと、これが私たちロータリアンの尽くすべきことではなかろうかと思います。  

次に、大阪市の中に存在する大学で、現在文学部の教授でいらっしゃいます佐藤先生のお話をうかがいます。専攻は哲学でございます。そして、大学の教務部長と、市立大学の留学生委員会の委員長を務めていらっしゃいます。佐藤先生には、新渡戸稲造先生に関する非常に有名な著書がございます。皆さんご承知の五千円札に新渡戸稲造先生の肖像が付いています。今、アジア村の村長さんが最後に申されましたお金の問題が、やはり非常に重要になっておりますが、新渡戸先生の留学についてのお話と、それから佐藤先生は、実際にイタリアから哲学の勉強に来ていらっしゃる方の指導教官を引き受けられ、直に留学生のお世話もなさっていらっしゃいますので、誠に短時間ではございますが、お話を承ることに致します。

佐藤 只今ご紹介頂きました、佐藤でございます。今回はロータリーの皆さん方がこのような集まりを催して下さって、テーマを「留学生」に絞って予めご研究になり、また本日は留学生を沢山招いて下さいまして、本当に有り難うございます。最初このお話をお受けしました時、事前の打ち合わせでは、私の大学での留学生の現状を話してくれないか、ということでございました。現状については、本日のプログラムの10ぺ一ジに資料1として、大阪府がアンケート調査しました結果 が統計で出ておりますので、これで大体の問題点がお分かりになると思います。現在、日本には留学生が2万5千人ぐらい来ております。私の大学には比較的少ないのですが、それでも115名で、この5年間で倍に増えております。この傾向は、今後もこの調子で進んで行くように思います。そして、この留学生の内95%がアジアの学生です。台湾、中国、韓国、その3国で89%を占めております。日本全体ですと、もう少し率が変わりますけれども、こと大阪に限って言うならば、アジアの留学生が殆どであります。現在アジアから来た留学生は、日本とアジア諸国との経済状況の違いというものに深刻に悩んでおります。現状はどういうことが問題点かということは、大体皆さんもお掴みであり、現に家へ留学生を招いて何泊かさせて、つぶさに話を聞いて下さっているお方もおいでなわけでございます。しかしながら、時代を百年あるいは百何十年か遡ってみますと、丁度明治の初期に日本からヨーロッパやアメリカヘ留学生がドンドンまいりました。その中には随分賛沢な留学生もおりました。例えばお殿さんの息子ですと、家来をつれて留学しまして、ずっと向うでも家来に世話をさせるというような人もおりますし、また、森鴎外のように政府のお金で行きますと、たっぷりありますから、向うでもゆったりと暮らせて、楽しく過ごすというようなこともできましたけれど、しかし、私費留学生もいたわけです。先程もお話しにありましたように現在、日本には私費留学生が大変多いのですが、明治の始めでも外国へ私費で行った人たちは、とても苦労しました。いま、私の大学でも留学生の81%は私費留学生です。この状況は、当分変わりません。

そこで、今日お話しさせて頂きますのは、五千円札の新渡戸稲造のことで、彼は私費留学生で行きました。そして向うで色々な苦労をしました。その苦労が、現在アジア各国から私たちの大学に留学しておられる特に私費留学生――私費だけではありません、留学生は私費であろうと政府派遣であろうと国費であろうと、共通 の悩みを抱いております。従いまして、その点を新渡戸稲造にからませながら、お話しさせて頂いて、そこからこの後のセッションの材料を提供させて頂きたいというふうに思っております。

新渡戸稲造が留学しましたのは、アメリカヘ3年、ドイツヘ3年あまり、そしてアメリカでもうしばらく過ごして、日本へ帰ってまいりました。出かけたのは、明治17年(1884年)9月、帰国しましたのが、明治24年2月(1891年)であります。 留学生は何であるか、留学生は「学生」です。留学生は何よりも学問をするために外国へ出かけております。それが、第一です。しかし学問のためにはご飯も食べねばならず、寝もしなければなりませんので、次の問題として、「生活」の問題が起こってきます。第一に学問、勉学、第二が生活、そして留学生は、皆、若い青年男女です。若い人たちはこれから自分の職業に付き、そして何処かの社会で働かねばなりません。つまり、「職業」の問題というのは、別 に留学生でなくても、若い人には非常に大きな問題でありますけれど、留学生にとって職業の問題というのは、より一層大事な問題となります。そして再び、留学生は若い青年男女です。先程、浦野先生が極めてうまく行った一つの例をお話しになりましたが、「結婚」の問題があります。留学生の中には、すでに結婚されていて、2人揃って留学されている方も私の大学にはおられます。そういう人たちには、そういう人たちで発生する問題がございまして、例えば2人揃って入学しても片一方が先に卒業すると、残った1人は勉強を続けることができるかどうか、2人合わせてカツカツの共同生活であったのが、一人が帰ってしまうと生活費が足りなくなります。これは深刻な問題です。それから日本へ子供連れで来られる、あるいは子供が日本で生まれたとします。大学院のドクターまで終えようとしますと、まっすぐ行っても9年かかります。9年間も経ちますと子供は大きくなり、学校へ行かなければなりません。その子供の教育をどうするか。これは現在、日本ではほとんど手がつけられていない問題です。大阪市も教育委員会の方が、ボツボツそういう事柄に着目しかけているという段階でありまして、いずれまたロータリアンの皆さん方からお知恵もお力も仰がねばならないと思っております。勉学と、生活と、職業と、結婚、この4つが青年にとっての大きな問題です。しかし、留学生にとって何よりも大事なのは勉学と生活です。そこでその点につきまして新渡戸稲造のこともふまえながら申し上げてみたいと思います。 浦野先生が実例を引きながら日本語の難しさを語って下さいました。外国語を学ぶことは、日本語に限らず、どこの国の言葉でも、とても難しいわけです。非常に難しい。ことに日本語の場合は漢字があり、そして読み方がいろいろでとても難しいのです。この中には国文学の難しい日本語を勉強しておられる方もおありで、そういう人たちは、あまり難しくないと思っておられるかも知れませんが、難しいのです。そうして、ことに生活する上で、あるいは学問研究をする上に言葉を習得するには非常な努力が要ります。そのためには、あらゆる方面 に気をつけて力を注がねばなりません。

新渡戸稲造は、明治10年に札幌農学校へ入りました。これは日本にあった学校ですが、先生はほとんどアメリカ人でして、講義は全部英語で行われ、ノートも全部英語でとるというくらいですから、留学と同じようなものです。そこで勉強を終えてアメりカベ行ったのですから、英語の力は十分あるのですけれども、それでも色々と苦心しました。例えば、言葉を少しでも覚えるのにどうするか。それは、その国の人と話をするチャンスを活かすに限る。本日、留学生の皆さん35人がこうしてロータリーの招きに応じて、自ら積極的に進んでこの席に連なっておられることはとてもいいことだと思います。どうしても留学生は引っ込み思案になりやすい。ことに日本人の場合はそうでしょう。そこで新渡戸稲造が考えたことは、チャンスを増やすということ。例えば切手を買う時も5〜10枚とまとめて買うのでなく、1枚ずつ買うわけです。そうすると、郵便局へ行って1枚買うごとに何か言わねばならない。そういうふうに生活全般 を工夫して、自分の語学力を研くというように気をつけました。それから現在、私の大学の留学生もそうですが、色々と自分の国のことを話してほしいということで、ロータリークラブとか、ライオンズクラブのような地域の方々の集まり等に招きを受けます。新渡戸稲造もそういう場合は尻込みしないで出て行って、当時の日本の事情を話しました。そのことは自分の言葉を研く上において非常に役に立つと同時に、やはりその土地の人たちと密接な結びつきを得ることができるという点で、彼の勉学に大いにプラスになりました。 最初に話をしたのは、フィラデルフィアの公会堂ですが、その時は足が震えて紹介の言葉があった時には、もう立てなくて、断ってもらおうとブルブル震えていたということです。ところが、、紹介者が『じゃあ、どうぞ』と紹介してしまったので、「よし!」と、倒れてもいいからと踏ん切ったら、うまく言葉が出たということでした。ですから、留学生の皆さんもチャンスを求めて言葉の勉強を大いにしておられますが、そのことはとても良いことだと思います。

それから、もう一つは勉強。学問をします場合に何をやりたいかという目標は、恐らく国を出る時に持って来ておられます。何をやりたいか分からずにフラフラと日本へ来るという人も、この頃多少増えてきたわけですけれども、しかし、浦野先生の所で勉強したり、或いは各々の学校に入学する留学生の皆さん方は、これはハッキリと心に決めて来ておられます。とはいえ必ずしも、自分はこれをしたいと思っていた、それをピッタリやっている大学の、ピッタリやっている学科に入れるかどうかは分かりません。そこで、やはり留学生にとっては自分の「勉学の焦点」を少し広げて学ばねばならないという苦労がつきまといます。これは止むを得ないことです。そしてある意味で本当に自分がやりたいことだけを学ぶということに恵まれれば嬉しいことですけれども、しかし、少し範囲が広がり、少し自分の思った方向から横へ寄ったとしても、そのことはまたそのことで、とても貴重な経験と、貴重な学びをして帰ることができるというふうに思います。

新渡戸稲造が本当に勉強したかったのは「農政学」(アグリカルチュラル・ポリティクス)という学問ですが、アメリカではどこもやっていませんでした。従って、経済学、歴史学を中心に勉強したわけです。しかし、その勉強が彼の将来に非常に役に立ちました。もうひとつ、留学生の皆さん方が留学における出会いを通 じて一番大事にされるのは、「友達」と「先生」です。浦野先生のように、一緒に涙を流しながら、学生のことを思って下さる先生に出会えた留学生の人たちは幸せだと思います。残念なことながら現在の大学で、留学生を受け入れている全ての先生方が、必ずしも浦野先生のような方ばかりとは限りません。そのことは、私もよく存じております。やはり留学して、本当に自分がやりたいという学問を選んで、そして先生と出会う。その先生が本当に自分に、学問のみならず、その他生活のことも気にかけ、色々と世話をして下さるということは、もしそういう機会を得られるならば、これは留学生にとって、何よりの幸せです。例え、苦しい生活であっも、それによって恵まれます。

新渡戸稲造がアメリカヘまいりました時には2人の良い先生に出会いました。1人はヘンリー・アダムスという先生です。この人はアメリカのアダムス大統領の孫にあたり、この先生からは、ドイツ流の歴史の研究の仕方を学びました。と同時にイーリーという先生にも付きました。このイーリーという先生は、今でいうところの社会派でありまして、ただ、象牙の塔に籠もるのではなく、ドンドン外へ出掛けて行って、講演もするし、一般 の新聞や雑誌にも文章を書き、学問というものは社会に直接還元しなければならないという観点を教えてくれたわけです。

新渡戸稲造はご承知のように大学の先生もしましたけれど、むしろ世の中の直接働く場にあって仕事をする生涯を送った人です。若い時にアメリカで習った2人の先生の影響が、生涯を支配しております。

そして次に、友達です。今日おみえの留学生の皆さん方は、自分と同国籍の留学生が学内におり親しく交っておられる場合が多いと思います。あるいは、そうでない方もあるかも知れません。新渡戸稲造は、留学時代にとても良い友達に恵まれました。それは、札幌の同期生あるいは先輩がすでにアメリカに行って、あるいは後から来でそういう人たちと非常に親しく交わり、一緒に下宿で共同生活も致しました。

留学生の大事な問題は、地面の値段がべらぽうに高い、罪悪的とも言えるほど高い日本で、高い家賃が留学生に強いられるということが、何より苦しいわけです。現在私の大学の留学生の90%が民間のアパートに住んでおります。私の大学は留学生への施策があまり進んでおりませんで、まだ留学生用の宿舎もございません。来年度からようやく発足ということでありますが、留学生はやはり日本の高い家賃に困っております。

新渡戸稲造も、向うで、やはり家賃が高くて困り、それを切り抜けるため共同生活をしておりました。そうしましても当時のアメリカと日本の生活レベル差は、丁度合のアジア諸国と日本との落茎とほぼ平行しているというふうにお考え項いていいと思います。日本を出る時には随分とお金を持って行ったわけです。私費留学ということで、3年間勉強するのに、当時のお金で2千円を持って行きました。為替レートが1ドル2円でしたから、千ドルです。1日に90セントぐらいの予算で持って行ったのですが、アメリカの大学は授業料も高く、そして生活費も高いのです。レベルが違います。ですから、みるみるうちにお金がなくなって、もう食うに窮したわけです。お金がない時には1日2食で、それもパンと水だけで1ヵ月をすごしたという時期もあったと言います。

今日ここにおられる留学生の皆さんは、パンと水だけで1ヵ月お暮らしでしょうか。そういう方もあるかも知れませんが、もう少しおかずの一つも付いているのではないかという気も致します。もしそうであるならば、かつて日本の留学生は皆さん方に等しい苦しみを味わったということをお考え頂きたい。また逆に私たち日本人は、そのように苦しんだ留学生に対して、かつて留学生を受け入れた国々が温かい手を差し延べて助けてくれたということを、しっかりと心に刻みたいと思うわけでございます。

新渡戸稲造は、お金がありませんので、アルバイトをしました。現在、私の大学の留学生も75%が何らかのアルバイトをしております。つまりお金は十分で、研究だけしておればいいという留学生は4分の1しかいないということです。そして、私費留学生の中でもロータリーの米山からも頂戴しておりますし、その他象印マホービンとか色々と奨学資金を頂戴しておりまして、助かっております。しかし、それでも尚かつ奨学金を受けておりますのは、私費留学生の22%にしか過ぎません。つまり、大半は自分で稼がなければならないわけです。仕送りもありますが足りません。

新渡戸稲造も、ついていました先生が色々な仕事を斡旋してくれました。例えば、新聞や雑誌の切り抜きスクラップを作るという仕事。これは先生の研究のお手伝いです。あるいは学会の雑誌の索引を作る仕事、これもお手伝いです。そういう仕事を回してもらって、自分の研究とそして生活を支える足しにもしたわけです。

それから留学生が悩みます生活上の問題は「病気」です。私の大学でも留学生がよく病気をします。日本へ来て、カルチャー・ショックということもありましょう。食べ物も変わります。生活の周りが変わります。ですから、着いたとたんに病気をして入院するという留学生もいます。

新渡戸稲造も留学中に病気をして転地保養を余儀なくされたことが多くありました。そういう時にもアメリカの人たちが大いに助けてくれたのでした。留学生が留学先で病気するほど心細いことはありません。もちろん、各々の属している機関が面 倒を見ますけれど、しかし、その際に市民がもっと色々な面で手を差し延べることがあれば、留学生にとってどれほど心強いか知れません。そのことも、私たちが心に留めるべき、1つの問題であろうと思います。

それから、これは浦野先生が先程切々とおっしゃったことですが、留学生は日本人にとって外国人です。そして95%が、アジアの留学生です。その場合民族問題が必ず付いてまいります。そして日本人の心の中に1つの驕りがありはしないか。それは口には出さないとしても留学生の人たちには、非常に切実にピンと感じるところがあるわけです。民族に限らず、あらゆる差別 は受けている側の人たちには極めて切実なのに、それを加えている人たちには、何とも響かないというのが実情です。その点を、私たちはこれを機会にこのことも心に留めたいと思います。

新渡戸稲造は留学中に、将来妻とすべきアメリカ女性と知り合いました。そしてその女性と結婚して、一生添い遂げました。しかし、その相手はクエーカーという一種の、一番国際主義的な、一番平和主義の、一番人種差別 から抜け出しているキリスト教の一派でありましたが、新渡戸稲造がそのクエーカー教徒の娘さんと結婚すると言った時、その両親は、猛反対をしました。ですから、結婚式には両親は欠席しました。それは、やはり如何に信仰があろうと、如何に信念があろうと、如何に信条があろうと、やはり我が娘の身になれば、そこに一つの懸念、それに付随して先程申しました民族問題が頭をもたげるということは当然あり得るわけです。私たちは、留学生の皆さん方が、ことに日本という国際感覚の練れていない国民の中で暮らしておられるということにも心を向けたいと存じます。

それから、生活のことで最後に申し上げたいのは、「誘惑」です。先程の浦野先生のお話にもありました。そうでなくてもアルバイトする先々で、色々な誘惑が待ち構えております。お金が足りませんので、お金をあげるということで、どんな誘惑がくるかも知れません。

新渡戸稲造も留学中に色々な誘惑にさらされました。その時それを切り抜けることができたのは何か。それは彼にとっては母親の面 影を目の前に思い浮かべるということでした。彼の母親は彼が札幌農学校へ行っている時に亡くなりました。それ以前にも彼は東京へ勉強をしに出ていまして、9才〜19才まで母親に一目も会わずに、帰った時は母親の葬式のあくる日でした。ですから母親というのは小さい時に別 れたきりでしたので、それだけに母親に対して自分は恥ずかしいことはできないという気持ちが彼を誘惑から守りました。留学生の皆さん方に、ご両親がおいでであるならば、ご両親の思いを心の内にいつもとどめて置いて下さるよう、お願いしたいわけでございます。そして留学生の皆さん方は、帰国されてから各々自分の国で、あるいは日本にとどまって、立派な働きをなさるに違いありません。

そして留学生の皆さん方にお願いしたいことは、帰国されればもうそれで終わりではなく、どうか良きにつけ悪しきにつけ、日本、あるいは大阪におられるならばこの大阪や京阪神の学校なり、その他色々と交わりのあった方々との交流を生涯続けて項きたいということです。

先程、浦野先生がホイットマンの詩で締め括られました。私も今日、詩の一節を最後に申し上げたいと思います。どんなに恵まれていても、どんなに助ける人がいても、留学生活は苦しい。そういう苦しみをすっかり取り除くことはできません。どんなに施策を講じようと、またお金があっても苦しいことは苦しいのです。それをすっかり取り除いてもらうということは期待できません。必ず苦しみは残ります。しかし、そういう苦しみはやがて花を開きます。

インドの優れた思想家であるタゴールの有名な詩の一節を引用したいと思います。

"Dark clouds become heaven's flowers when kissed by light."

「黒雲も 光り接(ふ)れなば 空の華」

以上で私の話を終わらせて頂きます。

木村 只今は、佐藤先生の、ロータリアンに対して、また留学生の皆さんに対しての切々たる訴えをお伺いしたわけでございますが、時間がまいりまして、もっともっとお話を承りたいのでございますが、本日のI.G,F.が将来留学生問題でみごとな花を咲かせる「よすが」となりますように、祈りを込めて結びの言葉にさせて頂きたいと思います。ご静聴有り難うございました。